Letters 3-1

 仕事が終わり、ロッカーに入った鞄の中の携帯を取り出せば、メールが一通入っていた。
 志保にメールを送ってくる人物なんて一人しかいない。志保がため息をつきながらメールを開くと、予想通りの人物から事務的な内容が届いていて、更に疲労度が増した。
 一度家に戻って頼まれていた資料を持って、その足で工藤探偵事務所へと向かう。
 米花町の一角の新しいビルのワンフロアにある事務所は、いつも清潔感が漂っていてコンクリートの匂いが漂う。ドアを開けると応接間の向こう側の机で新一が難しそうに顔をしかめてパソコンに向かっていた。

「工藤君」

 志保が声をかけると、新一は初めて気付いたように顔をあげた。無邪気に笑って立ちあがり、

「悪いな、宮野」

 志保から資料を受け取る。

「ていうか、遅かったな」
「あら、あなたの資料調達の為に動いてられなくてよ」
「ったく、可愛くねー」

 事務所内にある高級そうな壁時計は午後十一時を示している。確かに遅くなってしまった。新一の遅かったな、が資料に対してではなくて、志保を心配しての科白だということを、志保は分かっているつもりだ。
 そもそも急ぎで資料を必要とすれば新一は自力で準備をするだろう。結局のところ、こうして資料を持って来させようとするのも志保に会う口実なんだということに気付いたのは、再会してからどのくらい経った頃だったか。そして志保が気付いていることに新一も気付いているはずだった。

「もう仕事は終わるんだ。飯行かないか?」

 こんな夜更けに開いている店なんてこの近所だと居酒屋か牛丼屋くらいしかない。それでも悪くないと思ってしまう自分を志保は止められないでいる。
 再会してから二年が経ち、あの頃と同じ、長袖一枚でも肌寒くなる季節へとなっていた。




 再会した時の衝撃は忘れられない。何年も音沙汰なかった彼が突然灰原哀の名前を出して、その居場所を探していると博士から聞かされた時は驚いた。
 本当は無視を決め込んだほうがお互いのためだと思った。だけど今でも信じられない話だけど、その時の新一には泣いたような跡があったと博士から聞き、一度会えば彼も満足するだろうと会うことに決めた。しかも博士ときたら住所を新一に教えてしまっていたので、後に引けなかったのだ。
 再会してから一カ月も経たない頃、新一と蘭が別れたと博士から聞いた。新一が憔悴していてぜひ会ってあげて欲しいという言葉に、なぜ自分がという疑問も芽生えたが、博士に対して反抗できないのも事実で。
 結局拒んでいた自分の連絡先を新一に教えることとなったのだ。

「蘭に振られた」

 再会した時と同じカフェで、新一はうなだれるようにコーヒーをぼんやりと見つめていた。

「悪いけど、慰めて欲しいんなら私より大阪の探偵の方が適任だと思うわよ」
「…そんなの期待してねーよ」

 志保の言葉に新一は薄く笑って、ようやくコーヒーに口をつけた。志保は黙って目の前に座る新一を見つめる。大学生には相応しくないブランドスーツに疲労がうかがえる顔。二足わらじの生活は思った以上に身体に負担をかけているのではないだろうか。それでもその生活を退屈だと言ってしまう彼に少し同情してしまう。

「ショックと言えばショックなんだ。だけど、こうやって普通に生活できている自分にもがっかりしている」

 視線を落したまま、普段の彼らしくない弱々しい姿の声を志保は黙って聞く。

「なぁ宮野。俺はやっぱり冷たいのかな。あんなに大事だったはずなのに、別れてほっとしているのも事実なんだ」

 顔をあげて志保を見るその瞳は不安定に揺れていて、目を逸らすようにして志保はコーヒーを飲んだ。

「そんなものじゃない? 人の気持ちなんて変わっていくものだし、あなたが冷たいなんて思わないわ」

 彼が冷たい人間であれば、今頃志保はこうして暮らしていなかっただろう。
 灰原哀として過ごしていた頃に与えられた温かさを志保は決して忘れない。だから元の姿に戻って、解毒剤を服用した新一の異変が見られないと分かってから姿を消したのだ。これ以上中毒にならないように。
 自分の言葉に対して、馬鹿みたいだとも思う。人の気持ちなんて変わっていくと言いながら、志保自身は変わっていないのだから笑ってしまう。
 そんな志保の気持ちなんてつゆ知らず、新一は「サンキュ」と控えめに笑った。