Letters 2-4

 園子はキャンパスの中にある人気の少ないベンチに蘭を連れて行ってくれた。いつの間にか涙をこぼしていた蘭は、いつかほどではないけれど枷が外れて、これまで言えなかった悩みを園子に打ち明けた。
 表面上ではうまくいっているように見える自分達がそうではないかもしれないこと、手紙の事、宮野志保のこと、そして新一は自分を好きではないんじゃないかと思ってしまうこと。
 一つ一つ相槌を打ちながら聞いてくれた園子は、足を組んで蘭の肩を抱きながら空を見上げた。

「好きじゃないってことはないと思うけれどね」
「そうかな…」
「あの新一君が好きでもない女と付き合うなんて、そんな不合理的なことをしないと思うけれど」

 園子の言うことはもっともだった。そしてそれは蘭の胸を震わせた。
 少しずつ減っていく二人の時間。それは、そういうことではないのだろうか。
 蘭と新一は幼馴染なのだ。飽きることなく一緒にいた。好きじゃないわけがない。でもそれが恋愛感情とは限らない。
 あの頃は子供だったのだ。幼馴染という関係で、お互いを大切で、一緒にいるためにはそうするしかなかったのかもしれない。今になって見えてくる情況に、蘭は涙を流した。

「蘭はいつも我慢しすぎだよ」

 園子に言われて、蘭はうなずいた。
 二人でいることに固執しいていたのかもしれない。新一が隣を歩いてくれて嬉しかった。離れていた間の寂しさを埋めるように優越感を抱いたことも事実だ。
 それでも、蘭にとっては恋だった。




 園子と別れた後、蘭は新一にメールをした。思えば最近蘭から新一にメールをするのは、ご飯を作っておくとか掃除をしたとか、そんな事務的な報告のみで、久しぶりに会いたいという言葉を使った。
 最近の新一は、蘭が近寄ろうとすればさりげなくかわしている。その事に蘭が気付いていないわけがなかった。いつ頃からだろう。高校生の頃は違った。蘭が多少甘えても少し嬉しそうに答えてくれたように思う。大学に入っても変わらなかった。変わったのは探偵事務所を開いて忙しくなってからだろうか。
 本が散乱していた日、新一は宮野志保の手紙を読んだのだろうか。いつその手紙を受け取ったのか知らないけれど、新一の心の中に彼女がいるのは想像に容易い。
 蘭の携帯電話がバイブで震えた。今日の夕方なら空いている、と新一からの返事があって、完全に拒否されていたわけじゃないとほっとする。
 待ち合わせ場所と時間を送り、蘭は空を見上げた。
 今でも新一がいなかった半年間を思い出す。傍には新一の幼い頃によく似た少年がいて、それで紛らわせたのもあったけれど、それでもその喪失感は大きかった。片割れの双子を失ったように、いつも空虚感がまとわりついていた。
 だけど結局一緒にいても襲う孤独感は変わらない。

「蘭」

 米花町駅近く、待ち合わせの場所に時間ぴったりに現れた新一はスーツ姿で大人びていて、とてもじゃないけれど蘭と同じ大学生には見えなかった。黒いジャケットを着こなした宮野志保のほうがきっとお似合いだ。

「新一。忙しいのにごめんね」

 蘭が言うと、新一は首を横に振って、

「最近こうしてゆっくりできなかったしな」

 昔と変わらない笑顔で返すから、蘭はまた泣きそうになる。

「蘭…?」

 様子がおかしい蘭を、新一はいつも見逃さない。新一はいつだって蘭のことを理解してくれている。細かい女の心情の機微を読み取ることは出来ないにしても、ここまで洞察力を持って理解しようとしてくれる姿勢は、いつも蘭を救って、そして絶望をもたらした。
 蘭は新一のことを何も分かっていない。その心は何を考えているのか、その瞳はどんな世界を映し出しているのか。
 以前は同じ景色を見ていたはずなのに、今では遠い人のようだ。
 一緒にいるはずなのに感じる孤独。一人でいる孤独よりも二人でいる孤独の方が何倍も苦しいことを知った。

「もう別れよう…?」

 涙をこぼしてつぶやく蘭に、新一は言葉を失ったようだった。
 十七歳の蘭が悲鳴をあげている。こんな言葉を使うためにあんな想いをして彼の帰りを待っていたわけじゃない。でもそれだって蘭のエゴだと分かっているのだ。

「…なんで?」

 拍子抜けするほど端的に、新一は疑問詞を投げかけた。

「だって…」

 蘭は唇を震わせる。

「新一、私のことを好きじゃないでしょ…?」

 蘭が言うと、新一は傷ついたように蘭を見た。
 二人の間に沈黙が走る。駅近くのその場所は、今日もいつものように賑わっているけれど、シェルターがかかったようにこの想い苦しい場所に閉じ込められた錯覚に陥る。
 二人きり。でも今はもう胸はときめかない。

「でも、俺は蘭が大切だよ」
「私だってそうだよ。当たり前だよ。幼馴染だもん」

 目を逸らさないように新一をまっすぐに見る。蘭の言葉に、新一は眉根を寄せて、そのまま瞳を閉じた。
 その奥側に映る光景に、自分がいるといい。最後の願いを蘭は胸の奥にしまい込む。

「…分かった」

 新一はゆっくりと返事をした。
 この機に及んで、蘭はそれに傷ついた。まさか今更、新一が必死に否定をすると期待でもしていたのだろうか。蘭は鼻をすすり、新一を見る。新一は蘭を見ようとしないで、地面に視線を落としていた。

「新一」

 蘭が呼ぶとようやく新一は顔をあげて蘭を見た。その青みがかった瞳に吸い込まれそうになる。
 その瞳に何度見つめられただろう。思わず先ほどの言葉を取り消したくなるけれど、それをしたところで膠着したままだ。覚悟を決めなければならない。だから最後に出来ることを蘭はしようと思う。

「またね」

 笑って手を振ること。
 次に会った時は大切な幼馴染に何でもない顔をして笑うのだ。