Letters 2-3

 姿を消していた間の出来事を、新一はほとんど話すことがない。
 あんなに事件の話をするのが好きだったのに、と蘭は不審に思っていた。まさか昔自分が妄想したような未亡人と何かしらあったりするような昼ドラ的展開はないにしても、新一にとって隠したい日々であることは目に見えて分かった。
 宮野志保とはその頃に出会ったのではないだろうか、と蘭は思う。
 だけど訊けなかった。彼女についても、空白の時間についても。
 感情が溢れたのはあの一度だけで、普段はとてもじゃないけれどその感情を言葉にすることは出来なかった。



 それからも新一は表面上特に変わった様子がなく、キャンパス内で会えば会話を交わし、一緒に帰路を共にすることもあった。だけど相変わらず新一は忙しそうで、二人きりでゆっくりとした時間を過ごすことはない。そしてあの日を境にさりげなく避けられているような気がした。
 大学の講義が昼過ぎに終わった日、蘭は今までと同じように合鍵を使って新一の家に入った。相変わらず生活感のないリビング。新一は何を食べて暮らしているのか、冷蔵庫の中は見事なまで空っぽで、キッチンの流し台にもマグカップが一つ置いてあるだけで、綺麗に片づけられていた。
 掃除をするなんてただの名目だ。蘭は普段入ることのない書斎に入った。先日のように散らかっていることもない。あの手紙がどの本と本の間に挟まっていたか蘭は覚えていない。細い指で、並んだ本の背表紙を一つ一つなぞり、ため息をついた。
 書斎には古書店のような香りが漂い、酔いそうになった。それでもその場から離れられない。蘭は指をなぞらせながら、そのまま座り込んだ。
 昔から当たり前のように傍にあった新一の顔が思い浮かぶ。
 掃除という名目を使って新一のいない時間を分かっていながらその家に上がり込んで、自分は何をしているんだろう。涙が浮かんだ。
 言葉にしたい想いはたくさんあるのだ。だけどあの頃のように枷が外れたように責めて新一を困らせたくなかった。そんな過去の自分を蘭は嫌悪した。なんであんな風に泣いてしまったんだろう。
 今でもあの瞬間を後悔している。
 まるで無理やり新一を奪ったみたいだ。どんなに新一が抱きしめてくれても、キスをしてくれても、その心は蘭の傍にはない気がして不安になる。あんなに一緒にいたのに、蘭には新一の心が見えない。横に並んでいたはずの新一が今では自分よりもずっと前を歩いていて、今となってはもう追いつけない。
 目に浮かんだ涙は止まらず、そのまま頬を伝って流れ、床へと落ちた。蘭は慌てて手で拭うが、とてもじゃないけれど拭いきれない。
 順調か、と訊かれれば、そうじゃないんだと思う。この曖昧さは付き合う前から変わっていない。膠着状態は続いていて、何度か別れた方がいいのかもしれないと思ったことがある。
 それでも、新一が姿を消していた空白の時間を思うと、その決心は鈍ってしまう。例え会えなくても、新一がいない生活なんて考えられない。




 「毛利さん」

 講義が終わって荷物を鞄に詰め込んでいると、同じ学科の男子がそこに立っていた。

「ノート、ありがとう」
「どういたしまして」

 先日食堂で話をしたときに貸したノートを受け取り、それも鞄に入れる。ちょうどその時新一が声をかけてきたことを思い出す。新一は少し複雑そうに蘭を見たけれど、何もなかったように日常の会話に戻り、まるで嫉妬のかけらも見せない彼に蘭は寂しさを覚えた。
 もし自分だったら、と思う。新一が知らない女子と二人きりで話をしていたら、きっと激しく嫉妬をしてしまう。今の誰? って訊いてしまう。先日宮野志保に会った時のように。 

「毛利さん、大丈夫?」

 彼は心配そうに蘭の顔を覗きこみ、蘭は思わず後ずさりした。

「え? う、うん。大丈夫!」

 じゃあまたね、と蘭は鞄を持って、講義室を出た。
 新一以外の男子とあまり親しく話をした事のない蘭は少し戸惑っていた。最近は新一とすらあんな近距離で話をすることなんてない。

「蘭ー!」

 廊下でため息をついていると、別の学部の親友が手を振って走って来た。

「園子…」
「蘭ー、見ちゃったよー」
「何を?」
「モテモテじゃん!」

 肩肘で蘭をつつきながらからかう表情は高校生の頃から変わっていなくてほっとする。

「新一君怒っちゃうよー」

 園子が笑うと、蘭は表情を曇らせた。すぐさま園子は表情を変える。

「蘭…?」
「新一は、別に怒らないよ」

 宮野志保の顔と、あの手紙。そして書斎の匂いを思い出す。
 自分が他の男と二人で話していても涼しい顔をしていた人なんて、と思う。それでもこんなに新一を好きでいる自分は馬鹿だ。