Letters 1-10

 結局志保はなぜその手紙を書いたのかということを教えてはくれなかった。それどころか電話番号もメールアドレスも教えてくれなかった。

「何かあれば博士を通じればいいじゃない」
「それじゃ二度手間だろ。住所まで知っているのに、何が駄目なんだよ」

 駄々を捏ねるように訴える新一に、志保は呆れたように視線を寄越した。

「あなた、相変わらずね」
「何がだよ」
「そのくらい自分で考えなさい。私とそうやって連絡を取り合って、何かメリットでもあるの?」

 そう言い残して、彼女はマンションの自動ドアの向こうへと消えていった。
 住所を知ったところですぐに連絡が取れるわけがない。ここで待ち伏せできるほど新一は世間体を気にしていないわけではないし、暇でもないのだ。



 そうして再び退屈な日々に戻る。だけど以前と違うのは、いつも頭のどこかで志保のことを考えてしまっていた。大学の講義中も、自分の探偵事務所で仕事の手を止めた隙にも、黒いジャケットを羽織って微笑む志保の顔が以前隣にいた灰原哀とぴたりと重なり、新一は深くため息をついた。
 小学生という時間を過ごした頃、当たり前のように傍にいたのに、今では遠く離れてしまったと思う。



 しかし次の彼女との再会は案外あっけないものだった。
 志保と再会してから二週間後、新一がいつものように目暮警部に呼び出され殺人事件の現場で状況を説明を受けていた時だった。

「おお、宮野君、いつもすまんね」

 目暮警部は新一に向けるものと同じその場所には相応しくない笑顔で、志保を出迎えた。白衣を着た志保は先日会った時より更に大人びて別世界の人間に見えた。

「工藤君、宮野君に会うのは初めてだったか? ワシの知り合いの研究所で働く子でな、薬学だけではなく医学にも長けておるからこうして時々協力してくれとる」
「…どうも」

 志保は初めて会った時のように冷めた瞳で新一を見て、会釈をした。その態度に新一は腹を立てる。会うのは初めてどころではない。なのにこの余所余所しい態度ときたら。
 その事件は志保の持ってきた資料と志保の助言もあって、ようやく毒殺として犯人も特定でき、解決することが出来た。安堵感の漂う空気の中、新一は志保に近付いた。

「宮野サン」

 呼びかけると、志保は心底嫌そうな顔をして新一を見た。その表情にもためらわず、新一は外向きの顔で、それこそファンが黄色い声を上げそうな笑顔を向けた。

「ちょっと話したいことがあるんだけど」
「………」

 そこまで話せば警部や刑事が気付かないわけがない。

「なんだ、君ら知り合いだったのかね?」
「ええ。以前事件でちょっと…」

 新一がいつもの調子で答えると志保は盛大にため息をついた。ここまで言ってしまえば、志保も断れないことを新一は知っていた。



「やり方が汚いわ」

 事件が解決して帰る頃には午後十時を回っていた。繁華街の中を駅まで二人は並んで帰る。

「そっちのほうがずるいだろ。今までのことも全部隠して、連絡先も教えないで」

 新一が口を尖らせると、白衣を脱いで先日見たジャケット姿の志保はじろりと新一を睨んだ。

「その必要はないでしょう」
「なんでだよ」
「会うときはこうして偶然に会ってしまうものだし、連絡を取ってまで会うほどの仲じゃないはずだわ」
「………」

 志保のその言葉に、新一はショックを受けていた。だけど、あの手紙が真実として新一の胸に光を灯す。

「Don’t forget.」

 新一の流暢な発音に、志保がはっと息を飲んだのが聞こえた。そのまま唇を震わせて立ち止まり、先ほどよりも強く新一を睨む。

「…あなたに言われたくないわ」
「え?」
「あなたはあの頃をなかったことにして今まで生きてきたはずじゃない。どうして私に構うのよ?」

 その緑がかった瞳は揺れていた。志保の問いには新一もうまく説明が出来ない。蘭の泣き顔やあの頃の幼かった自分を思うけれど、全ては言い訳にすぎないのだ。
 だけど志保だって先日言ったではないか。あの頃は子供だったと。
 でも今は違う。それなりに年齢を重ねて、経験を積んで、もう一度話をしたいと思った。一度会えばその気持ちは止まらない。なかったことには出来ない。

「…ごめん」

 新一がつぶやくと、志保が新一を見上げた。

「忘れようとしたわけではないんだ。でもおまえが忘れようとしているんだと勝手に勘違いしてた」

 うつむいたまま言い、再び志保に視線を見た。目を合わそうとすれば志保が視線を逸らし、じれったさがこみ上げる。

「宮野。なんであの手紙を残したんだ?」

 ようやくその問いを口に出すことが出来た。
 あの手紙がなければ今もあの頃とは無縁に生きてきただろうか。だけど「もし」なんて仮定をあげて陳腐な感傷に浸れるほど今の新一は子供ではない。あの手紙に出逢わなくたって、捻じれはどこかで生まれていたはずだ。例えば大学生活を退屈だと思う毎日。幸せを自分なりの定義に当てはめる感じ方。蘭と過ごす時間。

「…私にも分からないわ」

 志保は目を伏せて首を横に振った。その言葉に嘘はないのだと新一は思う。誰だって衝動的に何かを起こすことはある。例えば新一が志保に会いに行ったように。
 沈黙を埋めるように、志保は再び歩き出し、新一も隣を歩く。

「蘭とは、うまくいっていないんだと思う」

 何の前置きもなく唐突にぽつりと新一がつぶやくと、これまでうつむいていた志保が顔をあげて新一を見た。
 言いながら何を言っているんだろうと思った。これまで誰にも、親しい大阪の友人にも、博士にも、園子にも、誰にも話したことがなかったのに。
 表面上は何も問題がないカップルであることは間違いない。だけどとっくの昔に軋みは生まれている。それでも蘭を好きだったのだ。

「…どうして?」

 訊ねながら志保だって馬鹿げていると分かっているに違いなかった。

「なんでだろな」

 新一は空を仰いだ。黒い空に流れる雲の動きが早い。明日は雨が降るだろうか。
 視線を上にあげたまま歩いていると、隣で志保が息を飲んだ。つられて志保の視線の先を追えば。

「新一…?」

 繁華街の駅で集まる女子数人の中に、こちらに視線を寄越す蘭がいた。