Letters 1-9

 博士に充てられた手紙の中で、一通だけ中身を見せてもらった。そこには博士を気遣う言葉と志保自身の近況、そして思いもしない言葉が綴られていた。


  先日工藤君の話を小耳に挟んだけれど、彼の無茶も相変わらずみたいね。


 志保はどこかで新一の情報を得て、それを博士に伝えていたようだ。志保が手紙の中で新一の名前を出していたことに驚いた。それは一年前の消印が押されていた手紙だった。
 昔とは違い、新一はほとんどマスコミに顔を出すことはない。現に同じ大学の学生の中でも新一が探偵業をやっていることを知っているのはほんの一握りだろう。志保だってそう簡単に新一の動向をうかがうことは難しいはずだった。



 新一は封筒に書かれた住所を頼りに電車を降りる。
 あの手紙を見つけてから二日が経っていた。無理をすればもっと早く来ることも出来た。でもいざとなれば畏怖してしまう自分がいたのだ。
 あれから四年も経っていて、そして新一達はあの頃とは違う姿で、今更何を語ればいいのだろう。
 志保の住む五階建てのマンションはオートロックだ。一階のテナントの前で佇みながら空を見上げた。西の日差しは強くても風が冷たい。
 志保の顔を実際に見たのは遠い過去だ。解毒剤によって大人になった灰原哀は、妖艶で美人だったと記憶している。あの頃は別世界の人間のようで冷静に彼女の顔を見ることが出来た。相棒だとか運命共同体だとかそんな言葉を持ち出しておきながら、最終的に距離を置いたのは自分ではないのか。
 P・D・ジェイムズの本に挟まれていた彼女の言葉が何十回目かに頭をよぎり、ため息をついた時。

「工藤君?」

 赤みがかった茶髪の見覚えのある顔が、新一を呼んだ。それは記憶と同じ、だけどもっと人間に近付いたような表情で、目を丸くして新一を見つめていた。

「あ…」

 何か言わなければと口を動かし、声にならないでいると志保はくすりと昔と変わらない笑みを浮かべた。

「博士に聞いているわ。何の用?」

 博士と志保がそうやって簡単に連絡を取っていたことに驚きながら、新一は目を細めて志保を見つめた。黒いジャケットを羽織った志保は困ったように首をかしげる。さらりとウェーブがかった肩までの茶髪が揺れた。
 新一はズボンのポケットに両手をつっこみながら、視線を落として笑う。

「元気そうでよかった」

 ようやくそれだけ言うと、志保はやはり昔のように、だけど昔に見せなかった大人の女の顔で、「馬鹿ね」と微笑んだ。
 本当はずっと問いただしたかったはずなのに、その顔を見たら何も言えなくなった。なぜ黙って出て行ったんだ、とか、連絡くらい寄越せよ、とか、色々な思いはその微笑みに掻き消されてしまった。



 志保はある製薬会社下請けの研究所で働いているそうだ。今日は新一が来ることを知っていて早めに切り上げてくれたらしい。博士の手の回し方には頭が上がらない。
 志保のマンションの近くにあるカフェで、新一は自分でも驚くくらい饒舌に様々なことを語った。大学生活が思った以上に退屈だったこと、二十歳で始めた探偵業で出会った人々の話、テレビで見た迷宮入りの事件への自分なりの解釈、最近博士の家に行けば相変わらずガラクタが転がっていたこと。そして博士の家には少年探偵団の三人の写真が並んであったこと。
 志保は時には目を伏せて小さく笑いながらそれを聞く。昔とは別人のような雰囲気に焦燥感を覚えた。
 新一の話が一区切りつくと、志保はコーヒーを飲みながら新一の顔から視線を逸らして、

「彼女とはどうなの?」

 少し低めの声で訊いた。新一はそれまでの高揚感がさっと冷めるのを感じた。

「…別に。相変わらずだよ」
「そう、よかった」

 ほっとしたように志保は下に視線を向けたまま、口元で笑って見せた。その言葉に新一は突き放されたような気分に陥った。ただの近況を聞かれて答えただけなのに、どうかしている。

「宮野」

 彼女を昔のように灰原、と呼ぶわけにはいかず、無難にそう呼べば志保は顔をあげて新一を見た。新一は鞄から白い封筒を二つ取り出す。

「これを見つけたんだ」

 それをテーブルの上に置けば、志保は一瞬泣き出しそうな表情になり、しかしすぐにいつものポーカーフェイスに戻ってその封筒を見つめた。
 しばしの間、二人の間に沈黙が走った。息をついて先に口を開いたのは、志保だった。

「…懐かしいわね」

 無表情で、でも何かを思い出すようにそれを眺めて、

「あの頃は子供だったわ」

 そう呟いて再びうつむく。新一はそんな志保の前髪を見つめながら、あの時間はもう戻らないのだと悟った。