博士が桜に作ったおもちゃは、所謂ドールハウスだった。そこにメカを組み込んで、やたらと電気が点いたり、ドアが自動的に開いたりと、まるで博士が自分の為に作ったような光景に笑いがこみ上げた。
「博士ったら、女の子の心がまるで分かってないわ」
リビングのカーペットに座り込んだコナンの隣で、完成したドールハウスを見ながら哀が苦笑する。
「そうかな。子供の憧れだと思うけれど」
「それは男の子だった小嶋君や円谷君なら喜んだと思うけれど…、。まぁ、歩美も今思えばお転婆だったし、喜んだかもしれないけれど…」
今度は複雑そうにつぶやく哀に対してコナンは思わず笑ってしまう。もう何年前の事になるか数えるのも億劫だが、彼らが子供と呼ばれた時代は今でも鮮明に思い出せる。
「あいちゃん。桜もこのお家すきだよ?」
哀の隣で完成したドールハウスを感嘆とした目で見つめた桜が、哀を見上げ、哀は微笑んで桜の頭を撫でた。桜のツインテールが小さく揺れる。
「そうね。素敵な家だわ」
「こんど、はかせに会ったらおれい言う」
「ああ、それがいいな」
コナンは答え、ハウスの中を覗きこむ。
「桜、ここには誰が住むんだ?」
「えっとね、アキちゃんとヒカルくん!」
桜は手に持っていたドールをコナンに見せた。長い茶髪を降ろしてピンク色のワンピースを着たそれは、分け隔てなくコナンに対しても笑顔を向け続けてくれる。
「アキちゃんはヒカルくんとけっこんして、このお家にすむんだよ」
夢物語のように語る桜を見て、コナンはハウスの屋根に視線を落とす。
子供の頃に信じた未来。疑いもしなかった光景。
――それが、コナン君の子供の頃の夢だったの?
ああそうだ、とコナンは心の中で答える。江戸川コナンにとって何よりも憧れた空間だった。
玄関前まで蘭と桜に見送られ、コナンは車を発車させた。
「灰原。おまえはこれからどうするんだ? 博士の家に戻るのか、それとも…」
「家に帰るから、駅まで送ってもらえたら助かるわ。今日は夕方から博士は用事があるって言ってたし」
助手席に座る哀は、桜の前とは違い再び温度のない声でそう言ったので、コナンは相変わらずだな、と薄く笑う。
「おまえの家に帰るなら近くまで送るよ。遠慮するな」
「別に遠慮なんか…」
「――灰原」
哀のセリフを遮るように、ハンドルを握ったままコナンはつぶやく。
「おまえが遠慮深い性格なのは昔から知っているし、だからおまえの事を恨んだりはしていない」
左肩に感じる彼女の視線に、心臓が冷える。さらさらと砂のように落とされた言葉は、車内の空気に溶けないまま不格好に足元へと沈んでいく。蘭の家へと向かっていた今朝よりも更に気まずさが募り、車は前へと進んでいく。
日曜日の夕方にしては珍しく車が少ない大通り、哀が住む社宅の最寄り駅の近くでコナンは車を停めた。ハザードランプが規則正しく鳴り響く。
「恨んでいないなんて、嘘だわ」
自嘲するように哀がつぶやくのが聞こえ、コナンはハンドルに顔を伏せた。目を閉じれば、いつだって中学生の哀が瞼の中で生きている。何かに怯え、思い悩む彼女の姿を見るのはもうこりごりだった。
ただ守りたかっただけだ。ただ彼女を幸せにしたかっただけだ。それが驕りだということに気付けなかった。子供だった。
「でも他に方法を思いつかなかったのよ」
リズムの合間を縫うように綴られた言葉に、コナンは顔をあげて哀を見た。彼女のまっすぐな視線に魂が奪われる。
「どうして」
コナンが問うと、
「私にはあなたの願いを叶えられない」
哀は泣きそうな顔をして笑った。
「…俺の願いなんて、おまえに分かるわけがない」
「分かるわ」
「なんでだよ」
二度目の疑問詞に、哀はシートベルトを外しながら、メロディーを奏でるように言った。
「あなたを愛していたから」
それはとても小さな、小さな旋律のようだった。だけど心を震わせるには威力のありすぎるもの。哀は小さな微笑みを残し、車から降りて背を向けて歩いて行った。
黒いコートを羽織った彼女の後姿を見つめながら、コナンはハンドルに再び顔を伏せる。喉の奥が詰まって呼吸が苦しく、しばらくアクセルを踏む事もできなかった。