3-9

 二月も終わりに挿しかかる午後。今日はいつも以上に世間にはノイズが溢れている。

『さて、次の話題です』

 リビングにつけっぱなしにしているワイドショーでは、今朝から繰り返されているニュースが流れている。

『名探偵として有名な江戸川コナンさん、熱愛発覚! そのお相手とは? コマーシャルの後はその真相に迫ります』

 テレビを一瞥した後、コナンはソファーを背もたれにしてパソコンで書類を作っていたコナンは、大きく伸びをし、書斎に目を向ける。そこに欲しい資料があったような気がして、コナンはゆっくりと立ち上がり、書斎へと入った。
 子供の頃から好きだった古書の匂いにほっとし、ゆっくりと本を探す。

『これまでも数々の熱愛が報じられてきた江戸川さんのお相手は、なんと日売テレビの田中レイカアナ。江戸川さんが住んでいるとされる都心のタワーマンションに二人で入っていく姿を、週刊サンデーが捕えたとの事です』

 ふと視界の端にコナンドイル全集が目に入った。自分の原点。仕事を放り出して推理小説の世界に浸りたい欲求を抑え、コナンは慌てて視線を逸らした。現実は小説のようにはうまくいかない。どんなにリアリティ溢れるトリックがそこに描かれていても、現実ではきっと遂行できない。
 そこへ玄関のチャイムの音が部屋に響き、コナンは持っていた本を机に置き、玄関へと歩いた。

「よっ、コナン」

 ドアの前にはダウンコートを羽織った元太が、にっかりと笑っていた。

「外に出るのも難しいかと思って。雑誌と食糧、持ってきてやったぞ」

 手には紙袋と本屋のビニル袋が握られていて、コナンはそれらを受け取りながら礼を言う。

「ああ、ありがとう」
「それにしても久々だな。コナンの熱愛報道」

 元太は靴を脱ぎながら、片眉を下げる。コナンが頼まなくても、元太は先を読んでこうして家を訪ねて来る。光彦ほど狡猾さを知らない元太は、きっとコナンのこの状況を快く思っていない。それにも関らず、元太はコナンを外の世界と繋げようとしてくれる。

「相手が人気女子アナだからな」

 コナンは答えながらキッチンでコーヒーを淹れる。渡された紙袋の中には、手作りの煮物がプラスチック容器に詰められていて、その温かさは自分には場違いに思った。

「それより元太。春からは警察学校だろ。大学はちゃんと卒業できそうか?」
「当たり前だろ。卒論も問題なかったしな」

 コナンから受け取ったコーヒーを受け取りながら、元太は自信ありげに笑った。刑事になるんだ、と元太から聞いたのはいつだっただろう。正義感の強い元太にぴったりだと思った。向かう方向に対して努力を怠らない元太なら、きっと実現できるだろう。

『さて、熱愛報道のある江戸川コナンさんのお相手、田中レイカアナウンサーは今夜も予定通り夜のニュース番組を担当するとの事です』

 ソファに座ったコナンはノイズをかき消すようにリモコンをテレビに向けた。その目の前で元太はつまらなさそうに無言になったテレビに視線を向けた後、ゆっくりとコナンを向いた。

「コナン。いつまでこんなやり方をするんだ?」
「いつまでって……。依頼者が求めれば何だってするよ」
「オレ達は心配しているんだぜ。灰原だって」

 神妙そうに話す元太の声を遮るように、コナンは音を立ててマグカップをテーブルに置いた。昔から少年探偵団は変わらない。コナンが道を踏み外そうとすれば、必ず哀の名前を出してくる。卑怯だと思った。それでも抗えない自分は、やはり呪われているのだろうか。

「…あいつに会ったのか?」

 コナンが訊ねると、元太は頬を掻きながら答える。

「オレじゃなくて、歩美が時々会ってる」
「おまえと歩美って、何なんだ? 別れているのに仲良いよな」

 日頃から思っていた疑問をこことぞばかりにぶつけるコナンにも、ソファに背を預けた元太は軽く話す。

「オレらは元々友達だったしな。まぁ、コナン達とは状況違うよな。オレだって歩美が突然消えたら耐えられねーもん」

 元太の言葉に、コナンは雨の匂いを思い出す。全身びしょ濡れになりながら必死に米花町を走った。頬を濡らしていたのは雨だったのか涙だったのか。その後、元太にどれだけ救われたか。

「でもさ、コナン。あれから時間は経ったんだぜ。あの頃の続きは無理だとしても、ちゃんと灰原に向き合う時が来たんじゃねーかな」

 そんな事分かっている。だけど向き合ったところで、コナンと灰原の行く先が見えない。この世界の中の、たった二人だけ異端で、どうやって言葉を交わせばいいというのか。
 子供の頃の息苦しさも、木造校舎の匂いも、哀と手を繋いだ時の汗ばんだ感触も、何もかもが記憶として沁みついているのに。それは工藤新一ではなく、江戸川コナンのすべてだ。
 中学生の頃、普通じゃないのだと教師に糾弾された。今となればその通りだったと思う。哀を守りたくて、哀の傍にいたくて、世界に逆らうように二人でいた。それなのに満たされる事はなく、いつも何かを欲していた。もうあの頃には戻りたくないと思う。
 朝日の中で眠る彼女の寝顔に、どんなに恋い焦がれたとしても。

 ――あなたを愛していたから

 車のドアの音と共に吐かれた言葉。戻れるものか。そんな言葉はいらなかった。