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 蘭が住む家は、米花町から車で二十分程度の住宅街の中にあった。
 助手席に哀が座っている事実がむず痒い。左側をできるだけ意識しないように、コナンはハンドルを握ってアクセルを踏んだ。沈黙に耐えきれず、コナンはラジオを付ける。天気予報では北日本の積雪量が懸念されていた。なだれには十分ご注意下さい。
 そして同じ局ではニュースへと切り替わる。本日起こった殺人事件。毎日毎日繰り返される血生臭い出来事。人間は学習できない生き物ではない。しかし目に見えていない出来事はしょせん他人事で、今日の犯人だって昨日までは自分を善良の人間だと信じていたかもしれない。――自分のように。
 蘭の住む一軒家に着き、車を降りる。トランクに乗せた段ボールを哀が持ち上げようとするので、思わずコナンはそれを制した。

「俺が持つよ」

 奪うようにしてコナンが段ボールを持つと、哀はコナンをじっと見つめた後、

「ありがとう」

 そうつぶやいた。それが無表情でもコナンには彼女の感情を分かってしまった。緑がかった瞳は澄んでいて、その声にははっきりとした言葉の力が籠っていて、コナンは心臓がおかしくなりそうだった。声には出さずに視線だけでそれに答え、車のすぐ横にあるインターフォンを押す。

「コナン君! 哀ちゃんも、わざわざありがとう」

 ニットワンピースを着た蘭が玄関のドアを開け、寒そうにしながらもコナン達を出迎えた。コナンが玄関に入って段ボールを置くと、奥から軽やかな足音が鳴った。 

「コナンおにいちゃん!」

 足音と共に、胸の中に飛び込んでくる体重。桜がコナンに抱きつき、コナンは咄嗟にそれを支えた。まだまだ小さいと思っていた彼女も今は小学一年生で、それは自分が江戸川コナンとしてスタートした年齢だった。

「桜、おまえ重くなったなー」

 赤ん坊の頃から知っている桜をとても可愛いと思う。両手で抱きしめ返すと、桜は嬉しそうに悲鳴をあげた。

「はかせがオモチャをつくってくれたの? コナンおにいちゃんがもってきてくれたの?」

 よっぽど嬉しいのか、質問を繰り返す桜をコナンがなだめていると、桜の視線の先が変わったようだった。

「あいちゃん!」

 玄関先に立っている哀を見つけた途端、桜はコナンの腕の隙間を抜けて哀のもとへと駆け寄った。

「あいちゃんもきてくれたんだね。コナンおにいちゃんとオトモダチなの?」

 蘭に整えられたツインテールを揺らしながら嬉しそうに話す桜の声を聞き、コナンは言葉を詰まらせた。友達? そんなわけがない。彼女と友達だった事などない。
 コナンと哀の関係は、そんな単純なものではなかった。恋人になる前の自分達は、相棒だった。そういう言葉で誤魔化していた。ずっと彼女を気にしていたのに。

「そう、友達よ」

 桜の視線に合わせる為にしゃがんだ哀がそう微笑み、コナンは今度こそ言葉を失う。呆然と桜の後姿を見つめていると、哀がそっとこちらに視線を寄せた。妙に説得力のある視線で、思わずコナンは視線を逸らす。
 ――友達だなんて、そんなわけがあるか。いつの間にか握っていた拳に気付き、コナンは慌ててコートに手を突っ込んだ。



 お茶でもどうぞ、という蘭の言葉に甘えて、コナンはダイニングでコーヒーを飲んでいた。サービス業勤務の蘭の夫は基本的に日曜日も仕事で、コナンも一回しか会った事がない。

「コナン君、もうすぐ卒業だよね?」

 隣のリビングで哀と話をしている桜を気にかけながら蘭もコナンの横に座り、マグカップでコーヒーを啜った。気付けば卒業式まで一カ月。

「うん、そうだよ」
「なんだか、子供の頃から知っているコナン君がついに大学卒業をしちゃうなんて、私も歳をとるはずだわ」
「…何言ってんだよ。灰原なんて、飛び級してもう社会人だ」

 桜は小学校での出来事を一生懸命哀に伝えている。哀はやはり視線を合わせ、それについて相槌を打っていた。子供の相手をしている哀を見たのは初めてで、それはコナンにとって眩しく、思わず目を細めてしまう。

「哀ちゃんと仲直りしたんだね」

 蘭の言葉に、コナンはカップをテーブルに置き、蘭を見た。

「仲直り? そもそも喧嘩をした覚えはないけれど」
「そうだけど、でも」
「蘭姉ちゃんも博士も勘違いしているけれど、今日は成り行きで一緒にいるだけで、今更どうにもならないよ」

 今になってカフェインが苦く胃を刺激する。目の前で桜と会話をしている哀は、もう自分の知っている哀ではない。哀も自分と同じで成長をして、今は二十二歳。もう立派な大人だった。子供がいてもおかしくない。彼女の実年齢を考えたら尚更だ。

「コナン君の頑固さって、昔から全然成長していない」

 呆れたように蘭はテーブルに頬杖をつき、リビングを見た。
 暖房がかけられた室内は乾燥していて、コナンは何度か瞬きを繰り返す。そんな事にはとっくに気付いていると心の中で反論する。成長していない。まさにその通りだった。
 あの頃、どうして哀が出ていったのか。あの頃の自分がどれだけ子供だったか。分かっているつもりだ。しかしそれだけでは前には進めない。答えは分からないままだからだ。