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 依頼者でもある某テレビ局のアナウンサーの田中に会った日、カフェを出た後に二人でコナンが借りているマンションへと向かった。ストーカーに見張られているかもしれないが、むしろそれは好都合だった。敢えてラフな格好をしたコナンは、田中の隣を歩いた。

「たぶん、今はいないと思います…」

 カフェにいた時とは一変し、田中はこわばった表情でコナンを見上げる。主語は欠けているが、もちろんそれは田中をつけまわしているストーカーの事だった。

「だいたいどんな時間に遭遇するんですか?」
「出社する時はほとんど…。ただ私は朝が早いので、マンションの前までタクシーをお願いしているんです。会社に泊まる日もありますし」

 探偵と依頼者という雰囲気を醸し出さないように、しかし核心を突いた話をコナンは引き出す。田中もさすがカメラの前に立つ人間だけあって、その雰囲気に合わせるのがとても上手かった。
 田中はもちろん警察に相談した。しかし事件性に欠ける事を捜査するほど、警察も暇ではない。きっと彼女の訴えも取り合ってもらえなかったのだろう。

「ところで、田中さんは僕に会った事があるとおっしゃっていましたが、それっていつですか?」

 次第に重苦しくなってくる空気を変える為、コナンは話題を変えた。敢えて口調も緩くすると、田中はほっとしたように微笑んだ。

「ええと二年前くらいだったかな。私は朝の番組に関わっていて、有名人の方にインタビューする企画を持っていたんです」
「二年前…。すみません、覚えていなくて」
「いいえ。江戸川さんはとてもお疲れのように見えていましたし、それに出演したのも、うちの社員が江戸川さんにお世話になったからという成り行きがあったと聞いています」

 確かに、積極的にテレビ出演をしていたわけではなかった。しかしコナンの依頼人には業界人が多く、それは口コミという形で広がっていった。仕事をもらう代わりにテレビ出演をする。そんな契約に嵌められた事もあった。

「その時、番組でとてもくだらない質問をしてしまって、江戸川さんが苦笑いしながら答えて下さったのを、今でも覚えています」
「くだらない質問?」

 当時のインタビューと言えば、趣味や特技、好きな本、プライベートなど訊かれる事のほとんどがくだらない事だったように思う。誰が自分の趣味など知りたいのかと思ったものだが、案外受けがよかったらしく、自分の知名度に驚いたほどだ。知名度があれば仕事が成り立つ。複雑な気持ちだった。

「好きな女性のタイプを聞きました。そしたら江戸川さんは硬直してしまって…」

 当時の事を思い出すのか、懐かしそうに田中は目を細めるが、コナンには何も思い当たる事はない。それより、何よりも。

「…その時の俺は何て答えたんですか」

 思わず一人称が戻ってしまったが、田中は気にとめなかったのか、先ほどと変わらない表情で答える。

「優しい人と答えて下さいました」

 なんて安直で単純な答えだろう。コナンは自嘲する。
 好きな女性、と聞いて、頭に浮かぶ人間は今も一人だけだ。ずっとこの先も同じなのだろうか。恋心とは呪いだ。呪縛のように自分を苦しめる。誰から見ても毒なのに、それを啜ってしまう。
 都心にあるタワーマンションのエントランスに着き、コナンは田中の肩を抱き、つぶやいた。

「もうひとつ、隠し事をしない人、というのも付け加えて頂けますか?」

 にこりとコナンが微笑むと、田中は少々頬を赤めて、うつむいた。



 天気予報によると、北日本では降雪が続き、積雪による被害もあるとの事だった。東京で雪が降れば大パニックだというのに、地方によっては数十センチ雪が積もろうと都市機能は衰えない。
 テレビをBGMにリビングで書斎から持ってきた本を片手に調べ物をしていると、スマートフォンが震えた。隣に住む博士からのメールだった。アプリに届いたメールを読んだコナンは、テレビを消して立ち上がる。
 コートを羽織り、玄関を出て、数十秒で博士の家に着く。チャイムを押すと、博士が出てきた。

「すまんのう、コナン君」
「博士、何だよ頼み事って」

 訊ねながら玄関に入り、慣れた足取りでリビングに入ると、視界の端に茶髪が見えて思わず身構えた。

「…灰原。おまえ何してんだ」

 ソファーに座っている哀に、思わず低い声で訊ねると、哀も無表情で博士に視線を送った。

「忙しいところ悪いんじゃが、コナン君、哀君と一緒にこれを蘭君のところへ届けてくれんかのう?」

 博士が指をさしたのは、フローリングに積まれた段ボールが一つ。

「…なんだよ、これ」
「桜ちゃんにおもちゃを作ったんじゃが、思いの外重くてのう」

 少年探偵団が大人になった今、博士の庇護欲が向かう相手は蘭の娘のようだ。コナンは苦笑しながら段ボールに目を向ける。中身は重そうで、博士が運ぶのは心配だ。

「別に、江戸川君に頼らなくたって、私がタクシーでどうにか運ぶわ」

 よく考えてみれば今日は日曜日、休日である哀はいつものように博士の話相手になっていて、これを蘭の元に運ぶ事を承諾しのだろう。思わず冷たい態度になってしまった事を後悔しても、今更どう繕えばいいのか分からず、コナンは哀の顔を見られなかった。
 意地を張っているような哀の声を聞き、コナンはため息をついて博士に近付いた。

「博士、どういうつもりだよ」

 ソファーに座っている哀に聞こえないように小声で博士を問いだたすと、博士は悪びれもなく笑う。

「君が哀君に会いたいかと思ったんじゃ」
「俺があいつに会いたいだなんて、いつ言ったよ。余計な事しないでよ」

 思わずコナンが小声のまま荒い口調になると、博士がコナンの背をぽんと叩く。

「前に哀君がいるかどうか、わざわざ確認しに来たじゃろう。それに君が酔っぱらった時に哀君が君を送ったと歩美君に聞いたんじゃが」

 計算通りに物事を進めた犯人のように博士はにやりと笑った。