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 大学四年の一月からは卒業論文の制作もあり、仕事をセーブしていた。しかしこれまで無茶な仕事をしてきた事もあり、そうは簡単に仕事量が減るわけではない。
 コナンが依頼人との待ち合わせ場所であるカフェでコーヒーを頼み、文庫本を読んでいると、

「江戸川さん?」

 コートを手に持った黒髪の女性が、立ったままコナンを見下ろした。作られたような笑顔に既視感を覚え、記憶をたぐり寄せていると、

「メールを送らせて頂きました田中と申します」

 彼女が名乗り、約束の相手である事を知ったコナンは、彼女に席に座るように声をかけた。どこかで会っただろうか、それともタレントや女優といったテレビに出るような存在なのだろうか。ドラマやバラエティ番組を見ないコナンは、文庫本を閉じて、やってきた店員に彼女の飲み物を注文し、そして改めた田中に視線を合わせた。

「初めまして、でいいですよね。田中さん」
「いいえ、初めてではないんです」

 おかしそうに笑う彼女からは、とてもじゃないが探偵に依頼をするような悩みがあるようには見えない。

「失礼ですが、どこかで会いましたか?」
「はい」
「メールには会社員、とありましたが、どんなお仕事をされているんですか?」

 カフェ店内には軽やかなジャズが流れている。田中はにこりと笑って答えた。

「テレビ局のアナウンサーです」

 ああ、なるほど、とコナンはメールの内容を思い出す。相談内容はストーカー被害。局アナはテレビでの露出が多いといえどただの会社員、タレントや女優のように守ってくれる存在など皆無だった。
 一時期、コナンはテレビに出演や雑誌などのインタビューに応えていた事があった。彼女ともそういう繋がりで会った事があるのだろう。全く思い出せないが、脳内で推理を組み立てて、コナンは席を立った。

「メールにも書いた通り、僕のやり方は少々強引ですが、よろしいでしょうか?」

 コナンが問いかけると、フェミニンな服装の田中はスカートの裾を気にしながら立ち上がり、うなずいた。



 冬の時間の流れは早い。二月に入り、いよいよ卒論の締切が近付いて来た。
 あと少しで学業と仕事の両立は終わりだ。寝不足で頭が冴えないが、コナンは米花町にあるカフェでキーボードを叩いていた。今日は探偵としてではなく、大学生の一人としてだ。

「コナン君」

 二人席の壁側に座ってタブレットの液晶を睨んでいると、頭上から声が降り、コナンはぼんやりと顔をあげる。

「…光彦」
「珍しく根詰めた顔をしていますね。卒論ですか?」
「ああ。おまえは、進捗どうだ?」

 光彦は椅子を引きながら、苦笑を見せる。

「まだまだですよ。それにしてもコナン君はとっくに終わっていると思いました」
「どうして。俺だってギリギリだよ」

 コナンも小休憩をとろうと、いったんタブレットを閉じ、目の前に座った光彦を見る。光彦は黒いピーコートを脱ぎ、椅子に器用にかけていた。テーブルに置かれたコーヒーから、カフェインの匂いが漂う。コナンが頼んだコーヒーは、既に冷めきっている。

「だってコナン君、覚えていますか。コナン君は異世界から来たから、時空が違う場所で生きているんですよ」
「異世界? なんだよそれは」

 カッコ笑いをつけたようにコナンは笑うが、光彦はいたって真剣だ。

「コナン君は、帰られなくなった浦島太郎なので」

 光彦の言葉に、冷めたコーヒーを飲んだコナンはそのまま固まってしまった。浦島太郎。記憶を辿る。自分をそのように比喩した頃があった事を思い出す。しかし、何気なく放った言葉を光彦が覚えている事に、コナンは少々動揺した。
 コナンにとって弱音を吐ける相手は光彦だ。その頃の自分はいったい何に怯えていたのだろうか。

「おまえって、ときどき性格悪い」

 コナンがぼそりとつぶやくと、光彦は面白そうに笑った。

「今頃気付きました?」
「いや、前から思っていたけれど。中学くらいの時から」

 コナンと同じようにブラックでコーヒーを飲む光彦は、興味深そうにコナンを見る。敵を作らず、柔らかい物腰で、人を安心させる表情はそのままでも、それが全てではない事を光彦は隠さない。中学生の頃にコナンが予想した通り、大人になった光彦はよくモテるし、彼自身がその方法を知っている。

「それよりおまえ、どうしたんだよ。一人カフェか?」
「待ち合わせですよ。誰とか知りたいですか?」
「いや、別に…」

 夕方の五時。カフェの中の雰囲気が少しずつ変わっていく。隣の席にいた、自分と同じような男子大学生もいつの間にかいなくなり、二人席にはおしゃれに着飾った女が二人会話を弾ませている。
 光彦の待ち合わせを邪魔するわけにもいかない。コナンが再びタブレットを開くと、光彦は含み笑いを浮かべたまま、セリフを続ける。

「灰原さんですよ」

 その固有名詞を聞くやいなや、コナンはタブレットの電源を落とし、鞄に詰めた。

「教えてくれてサンキュ」
「これから飲みに行くんですが、コナン君もどうですか」
「行かねーよ。卒論あるし、仕事も残っているし」

 そもそもどんな顔をして哀に会えばいいのか、未だにコナンは分からない。慌てているようには見せたくなくて、ゆっくりと落ち着いて、でもできるだけ急いで荷物をまとめ、カップに残っていたコーヒーを飲み込み、席を立つ。

「コナン君、誤解をされたくないのでもう一つ付け加えますが、歩美ちゃんも一緒ですよ」

 のんびりと座ったままにこりと笑う光彦を見て、コナンは冷めたコーヒーが食道を伝っていくのを感じた。

「おまえって、本当に性格悪い」

 そう言い放ち背を向けると、今頃気付いたんですか? と笑いながら答える光彦の声が背後で聞こえた。