翌朝、アラームが鳴った途端、ふたりして何事もなかったように起床し、身支度を整える。新一がつけたテレビでは、最近の芸能情報が流れている。いつかの志保の家と同じ光景のようだった。
「今日の予定は?」
先に聞いたのは、ソファーに座ってスマートフォンを確認していた新一だった。志保はアメニティーの化粧水を頬に叩きながら、新一を見る。
「午前中に雑誌の取材。午後は……何だったかしら」
「相変わらず忙しいのな」
新一は昨日着ていたカーディガンをTシャツの上に羽織りながら笑う。志保はドレッサーで鏡越しに新一を眺めた後、乳液を手に取って頬に馴染ませる。昨夜の事を彼が覚えているかどうか、志保には分からない。
「あなたは?」
「俺は学校。もうすぐ試験だから、大人しく勉強するよ」
新一の言葉に、昨日本を抱えながら居眠りをしていた新一の姿を志保は思い出す。忙しいはずの彼が自分に会いに来てくれた事に、くすぐったさを覚える。
今更自分は孤独には戻れない。人は一人では生きられないのだ。
「志保」
見覚えのあるカーディガンのボタンを留め終えた新一が、志保に近付く。
「俺は何も失わないよ」
窓から入り込む日差しは、夏のものなのにひどく優しかった。
「それと同じように、おまえも何も失わない」
志保は手に持っていたタオルをぎゅっと握り、視線を落とす。新一の言葉は、志保に向けたものと同時に新一自身へのメッセージだ。彼はずっと怖がっていたはずだった。ギリギリの線の上を綱渡りするように、幼い頃からこの仕事を続けて来たからこそ、この世界に転がっているさまざまな恋の結末を見送っているはずだった。
「あなたの事も……?」
ようやく口から零れた声が震え、それを聞いた睫毛を伏せて新一がふっと笑う。
「おまえがそれを望むなら」
聞き覚えのあるいつかの言葉と同じ言い方に、志保もつられて微笑み、新一を見上げた。まだ化粧をしていない事を思い出し、隠すように持っていたタオルで顔を覆うと、新一が志保の髪の毛に触れ、そのまま志保の手ごとタオルをずらし、志保の乾いた唇にキスを落とした。付けっ放しにしている空調のせいか、新一の唇は少し冷たかった。
「仕事、頑張れよ。ちゃんと見ているから」
志保の瞳を覗きこむようにして、新一が言う。
「テレビ越しでも何でも、ちゃんとおまえを見ているから」
力を込めてつぶやかれた言葉に、志保は満たされた気持ちになる。自分は見られる仕事だ。でも、きっと誰よりも、同業者である新一に見てもらいたかったのだとようやく知る。
「私はずっと昔からあなたを見ていたわ」
幼い頃出会った少年が何者かを知った日から、まるでファンのように追いかけていた。志保が言うと、新一は少年のように顔をくしゃりとさせて、志保の額に自分のそれをくっつけた。
「なぁ、いい加減、俺達付き合おうぜ」
テレビの音が流れている中、新一の声がはっきりと耳元で響いた。
「今回の事みたいにおまえが悩んだ時には、俺が傍にいたいんだ。そのための約束」
恐怖は消えない。その約束が未来永劫のものだという保証はない。だけど、新一の声が震えている事に気付き、思わず志保がうなずくと、新一は今にも泣き出しそうな顔で、それでも笑う。彼も自分と同じように恐怖を拭えていない。
それでも、自分達はもう一人では過ごせない。孤独ではない夜を知ってしまったから。
自分が彼のものになるのと同じように、彼は自分のものになるのだろうか。それを巷では恋人と呼ぶなのかもしれない。
祈りを込めるように、志保は両手で新一の頬を包む。ひんやりとした感触を味わいながら、今度は志保からキスをする。まるで誓いのキスだった。