体育祭が終われば待っているのはやっかいな片付けだ。特に男子はテントを外したり、重い体育用具を持つという肉体労働が課せられるのでたまったものではない。
体操服を着たクラスメイト達と適当な話題で談笑をしながらテントを外し、金属製の足を二人係で運ぶ。運び終えると手からツンとした錆び臭いにおいが放たれた。
たいした運動をしているわけでもないのに、今日も空は快晴で、額に汗が伝った。金属の感触を残した手で汗を拭っていると、一人でパイプ椅子を運んでいる灰原の姿を見つけた。そんなに体力があるわけでもないのに、両手に二つずつ持っていて、身体ごとひきずるように歩いている。俺は迷わず彼女に近づいた。
「灰原」
俺の声に、灰原は振り返る。その顔の耳の近くでサイドの髪の毛が汗で頬に張り付いていて、体操服であるハーフパンツから出た足が透き通るように白くて、扇情的に思えた。この空の下で俺は何を考えているんだ。
「ああ、江戸川君。どうしたの」
「それ、重そうだから、片方持つよ」
妙な妄想への罪悪感から俺が手を差し出すと、灰原は眉をひそめた。
「あなたにも別の仕事があるでしょう」
「いや、俺も重いテントを解体したとこだから、楽な仕事させてくれよ」
俺が言うと、やっと灰原は目を伏せて小さく笑った。頬に睫毛の影が出来ている。そんな小さな事に気付いてしまい、俺は考え事を逸らすように周りを見渡した。周囲には灰原と同じクラスの女子がグループとなって、おしゃべりに花を咲かせながら楽しそうに一緒に椅子やコーンなどを運んでいる。
灰原はいつも一人でいる。時々別のクラスの歩美と話しているのを見かけることもあるけれど、それも小学生の頃に比べたら少なくなり、灰原はまるで空気のように単独行動を好んでいる。元々精神年齢も同級生とはかけ離れているし、彼女の性格から周りに溶け込んで馴染む姿も想像できないのだが、その光景は無性に寂しく感じ、そしてどこかで優越感を覚えていた。
俺だけが灰原と同等に話せるのだと。少なくともこの学校内では。
灰原は渋々と椅子を二つ俺に寄越した。俺はもう一つも奪い、二つを右手、一つを左手で抱えてバランスを崩しながら歩く。灰原も黙って俺の後をついてきた。昨日とは逆の光景だ。
昨日、黒羽快斗と一緒に帰った後、どう時間を過ごしたのだろう。本当はとても気になっているけれど、答えを聞くのも怖くて、そして聞くことすら拒否されそうで、俺は何も言えないままでいる。
体育祭が終わり、退屈な中間試験が行われ、暦は十一月となった。秋はイベント目白押しだ。これも十年ぶりに感じる高揚感で、学校内は文化祭に向けて準備が始まっていた。
ホームルームで文化祭実行委員会を決める会議が始まり、暇を持て余した俺は堂々と推理小説を読み出した。
「江戸川君がいいと思いまーす」
はっと気付くと、クラスメイトの悪友がにやにやしながら手をあげて俺を見ていた。
「へ?」
「江戸川さぁ、おまえ他人事みたいに本ばっかり読んでるからだぜー」
「罰として、実行委員やれよなー」
「リレーでも優勝できなかったんだからさ、ここで挽回してくれよー!」
同じサッカー部の奴までそんなこと言い出しやがる。俺は本を閉じてようやく我に返った。近くの席の女子もくすくす笑っているだけで、誰も助けてくれない。
「じゃあ江戸川で異論ないな」
教壇では担任もそうまとめあげ、女子はなぜか歓声をあげた。反論したくても、ホームルームだけではなく授業もサボりまくっている立場なので、俺は文句を言えない。
俺は文化祭実行委員に任命されてしまったらしい。
その日の放課後、渋々と文化祭実行委員会の会議に参加すると、見知った後姿があった。思わず近くの席に駆け寄る。
「灰原」
それまで面倒臭いと不貞腐れていたのが嘘みたいに足取りが軽くなるのだから、俺も案外現金な男なのかもしれない。俺の声に灰原が後ろ髪を揺らしながら振り向いた。
「江戸川君。もしかしたらあなたも実行委員になったの?」
「ああ。おまえも強制的に?」
「ええ。普段真面目な振りをしていると、こういうところで損をくらうのね。もっと不真面目な振りをしておけばよかったわ」
「不真面目な振りってどんなだよ…」
いつもより口数の多い灰原に驚きながらも俺は笑ってしまった。それほど彼女も実行委員になってしまったのは釈然としていないのだろう。
やがて時間が来て、各クラスから一名ずつ選ばれた生徒で、たった一カ月と言う文化祭までの期間でどういう準備が必要で、何をするべきかが話し合われた。俺は肩肘ついて、横に座っている灰原を横目でちらちらと盗み見る。
好きで実行委員になったわけでもないはずの彼女は、話される内容を時々メモをとっていた。その度に彼女の茶髪がふわりと揺れ、窓から入った夕陽に照らされる。いつの間にか、盗み見ていたはずの俺は彼女を凝視していたようだった。
「…何?」
俺の視線に気付いた灰原が、怪訝な表情で俺を見た。
「…なんでもねー」
慌てて俺は顔を逸らし、耳に入ってもいない話を夢中で聞いている振りをする。不覚にも顔が赤くなってしまったけれど、夕陽のせいにしてしまおうと思う。