発達途上の少年少女

 俺は我に返った。…何をしていたんだったっけ。体中に張り巡らされた血管に血液がめぐり、それを送り出す心臓がばくばくと波打っている。
 それまでミュートだった室内が突然最大量に、だけどテレビもついていないこの部屋は静寂そのもので、窓の外を走る車の音が遠くなっていった。

「江戸川君…?」

 耳元でいつも隣にいる灰原の、だけどいつもより少し高めの声を聞いて、俺は今彼女を抱きしめている事を思い出した。
 自覚してしまってから、彼女の背中にまわした両手が柔らかさを覚えて、離せない。茶髪がかった髪の毛の先が俺の鼻腔をくすぐる。二人して座り込んだ床の冷たさよりも、身体の内側からめぐる熱のほうが勝っている。
 これまでも手をつなぐことはあった。だけどこんな風に身体を密着させて、彼女の柔らかさを指だけでなく全身で感じるのは付き合ってからは初めてで、俺は彼女の肩に手を置いて、その身体を離した。

「どうしたの?」

 不思議そうに灰原は顔を傾けて、俺の顔を覗きこむ。好きな女の上目遣いが凶器になることを初めて知った。俺は視線を逸らす。

「…危険だ」
「あなたが守ってくれるんじゃないの?」

 彼女はどこかおかしそうに小さく笑い、俺は盛大にため息をついた。
 付き合い始めてから、俺の部活のない日は一緒に帰るようになっていた。元々家も隣同士なのもあり、俺は昔よく行っていた阿笠家に寄って帰る習慣ができていた。初めのうちこそ博士は、数年間ほとんど交流のなかった俺と灰原が一緒にいるのを見て懐かしがってくれたが、そろそろそれにも慣れてきた頃の今日、灰原が俺が最近買った流行りのミステリー小説を読みたいと言ったので、その本を取りに工藤家に二人で帰ったのだ。
 そこからの記憶が曖昧だ。
 日の光がよく入る工藤家のリビングで、ソファーにもかけずに、コーヒーも淹れずに、制服が皺になるのも気にせずに、冷たい床に座り込んで、俺はいったい何をしようとしてるんだ?

「俺が危険物なのに、俺が守れるわけがないだろ」

 俺は後ずさるように灰原から離れる。それでも手は彼女の柔らかさを形状記憶していてもう離れない。
 我を忘れてしまうほど灰原に夢中になってしまう自分が怖かった。一方的に彼女を想っていた頃は誰にも言えないほどの激しくて酷い妄想にとり憑かれいたというのに、いざ彼女を目の前にし、そして何でも許してくれるような微笑みを向けられると、もうどうしていいのか分からない。
 俺は、彼女を大切にしたいのに。

「私はそれを危険だと思っていないかもよ?」
「どういう事だよ?」
「あなた、まさか女には性欲がないとでも思ってるの?」
「せせせ性欲!?」

 身も蓋もない言い方に、俺は更に彼女から離れた。

「実年齢二十四歳で、まさか女は清らかな生き物だなんて幻想を抱いているんじゃないでしょうね?」
「いや、そんなんじゃなくて…、でも」
「江戸川君」

 しどろもどろに彼女の言葉を頭の中で整理していく俺に、灰原は身体ごと引きずるように俺に近付く。

「好きよ」

 灰原の瞳がまっすぐに俺を見上げ、細い指が俺の髪に触れた。

「あなたになら何をされても平気」
「…おまえなぁ」

 理性というバロメーターが少しずつ減っていく。再び俺の手が彼女に触れる。癖のかかった髪の毛、白い頬、ピンク付いた唇、細い首筋、存在感を示す鎖骨。どれもこれも俺のものとは違う。当たり前だった。俺は男で、灰原は女だ。

「そんな事言ってっと、本当にどうなっても知らねーぞ…」

 心なしか声がかすれた。彼女にキスを落としながら、俺の手は更に下へ滑り、細い二の腕に触れ、そして彼女の指を絡めるように掴んだ。
 唇が離れ、至近距離で彼女を見つめる。甘く息を吐く彼女の瞳は揺れていて、もしかしたら灰原も俺を欲しいと思ってくれているのかもしれない、ととても自分に都合のいい事を考える。
 波打っているのは心臓だけでなくて、繋がれた指にも電流が流れるように、ドクン、ドクンと鼓動が脈打つ。俺は乱れそうになる呼吸を整えるように深呼吸をし、彼女のセーラー服のリボンを解いて、彼女を抱きしめた。



本編の雰囲気をぶち壊してごめんなさい…。
リクエストがあれば、続きを書きます。
未成熟な二人を読んで下さりありがとうございました。
(2015.3.21)