発達途上の少年少女2

 カーテンを閉めて欲しい、と彼女が言ったので、言われるがままに遮光カーテンを閉める。
 その動作によって、これまで寝室につながる階段を上る事さえ困難なほどにひどかった動悸が、少しだけおさまる。カーテンの閉まる音を耳に響かせ、俺は振り返って灰原を見た。部屋を照らす光はカーテンの隙間からこぼれる程度のもので、彼女の表情まで見ることはできない。寝室のドアの前に立ったままの灰原に俺は近付き、彼女の前に立った。靴も履いていない状態でこうして並ぶと彼女との体格差を実感する。

「やっぱりやめるか?」

 十四歳にしては決して小柄とは言えない彼女なのにとても小さく思えて、壊してしまいそうな恐怖から俺がそうつぶやくと、彼女は複雑そうに俺を見上げた。この距離になるとこの暗さの中でもその表情がよく見え、ちくりと心が痛んだ。

「やめたいの?」
「まさか」

 彼女の手をとって、ベッドまで歩く。先に俺がベッドに座り、彼女の手を引くと、灰原は自然に俺を跨ぐような体勢になってしまった。それでも俺は彼女を離さず、抱きしめ、キスをする。顔の位置が彼女のほうが高いのは新鮮で、唇の触れ合う角度がいつもと違うだけで俺の心をくすぐった。
 再び呼吸困難に陥りそうになる。酸素を求めるように、俺は彼女の柔らかい胸に顔をうずめる。すると救いを差し伸べるように、彼女の手が俺の髪の毛に優しく触れるので、俺はようやくゆっくりと息を吐きだした。

「なぁ…」
「何?」
「これ、どうやって脱がせんの?」

 俺がセーラー服の襟を掴みながら訊ねると、灰原は俺を見下ろす形で睨み、俺の頬を思い切りつねった。

「痛てーよ!」
「あなたがおかしな事を言うからでしょ」
「おかしくねーだろ! 脱げないとできねーんだから」

 色気も何も感じさせない会話に、俺は内心ほっとしていた。無意識のうちにセーラー服の裾から手が入り込み、彼女の体温を直に感じて、更にゆっくりと息を吐いた。
 灰原はため息をついて、俺から離れてベッドの上に座ったままセーラー服の襟元のボタンを外した。なるほどそういう構造になっているのか、と今後のことを踏まえて確認できる程度には俺はまだ冷静さを失ってはいない。大丈夫だ、と自分に言い聞かせながら、俺も自分のシャツのボタンに手をかけ、無造作にそれを脱ぐと、ひんやりとした空気が肩や腕に張り付く。冬の寝室はとても冷えている。カーテンの隙間から差し込む光は少しずつ弱くなっていっている。
 彼女が寒がっていないか気になって視線を上げると、先ほどには見えなかった白い肌が見えて、どきりとした。動揺を隠すように彼女を抱きしめると、体温が伝わって温かい。もちろん肌と肌が触れ合うように抱きしめ合うのも初めてで、人の体温がこんなにも温かい事を初めて知る。

「寒くねーか?」
「へいき」

 彼女の声が震えて聞こえた。それが寒さによるものか分からないけれど、しっとりとした肌触りの背中を撫でながら、俺は彼女の髪の毛に、額に、頬に、キスを落とす。彼女がくすぐったそうに笑うのが分かって、安堵し、耳たぶを甘噛みすると、彼女の薄く開いた唇からほんの少し声が漏れた。耳たぶの柔らかさと冷たさに俺自身も驚く。
 彼女の身体じゅうが柔らかな何かでできている作り物のように思う。だけどその体温がそうではない事を教えてくれる。
 俺は喉の渇きを感じていた。それを潤してくれるのは決して水なんかではないことを俺は知っている。だから本能の赴くままに彼女に触れた。
 彼女を組み敷いて、彼女の表情をひとつひとつ確かめて、香ってくる扇情に狂いそうになる。甘い匂いに気がおかしくなりそうだ。
 これは現実に起こっていることなんだろうか。俺の妄想だったりしないだろうか。失いかけた理性の中で、俺は考える。
 ずっとこうしたかった。彼女の隅々まで、彼女すら知らない場所にさえ触れて、口づけて、この腕に閉じ込めたかった。

「江戸川君…?」

 俺の手が止まった事に気付いた灰原が、吐息の狭間でつぶやき、いつもより水分の多い瞳で俺を見上げる。

「どうしたの?」
「おまえさ」

 俺は、彼女の前髪を掻き上げるように撫でながら、

「あいつとはこんなことしてねーよな…」
「あいつって?」
「…黒羽」

 弱々しい言葉を吐き、その途端自己嫌悪に陥る。こんなのただの嫉妬だ。格好悪い。こんな自分の姿を見られたくなくて、誤魔化すように彼女の肩に額を押し付けると、彼女は俺の頭を撫で、俺の背中にしがみつくように抱き返した。

「するわけないわ」

 それは責めるようなものではなく、むしろ柔らかい口調で彼女はゆっくりとつぶやく。俺は泣きそうになった。彼女のこんな姿を知る姿は後にも先にも俺だけであることを願った。
 俺は灰原の過去を詳しくは知らない。宮野志保だった頃の彼女を、気にならないわけではないけれど、彼女から話すまで追及できないのは、俺がそれを受け止める自信がないからだ。
 それでも俺は灰原を守る。外見上幼かった頃に約束した言葉は、今でも俺の中で生きている。
 そんな感情を持ちながら、欲望のままに彼女に触れて、彼女の中を掻きまわして、彼女に傷跡をつけたいという衝動に、矛盾していると思う。でもどちらの気持ちも真実だ。
 その罪悪感さえも掻き消すような彼女の微笑みは、静かに俺の意識を照らし出す。彼女の吐息ごと飲み込むようにキスを貪り、温かい海のような彼女の中に突き進み、最初から俺達はひとつだったのかもしれないと錯覚した。
 まるで意識不明の重体から這い戻って来たような身体の熱さに堪え、彼女に好きだとつぶやき、このまま宇宙から投げ出されてももう気付かないくらい、俺は彼女に夢中になる。



リクエストをありがとうございました。
それにしてもセーラー服を脱がさないとできないという江戸川氏のセリフには私も突っ込みたい。そんなピュアな彼が好き。
(2015.3.29)