交差点の向こう側

 日曜日の夕方、女友達とのショッピングを楽しんだ帰り道で人だかりを見つけた歩美は、反射的に足を向けた。その雰囲気は例えばお忍びの芸能人にミーハーが集まっているような華やかさではなくて、もっとドロドロした重苦しい空気に歩美は覚えがあった。幼い頃に何度も遭遇した事があるものだ。
 案の定近くにはパトカーが停まっていて、どこから沸いたのか野次馬達は好奇心から集まったものの世にも恐ろしいものを見るような目つきである事ない事噂話を囁き合っている。殺人事件ですって。まぁ恐ろしい。

「歩美ちゃん!」

 聞き覚えのある声に振り向くと、光彦と元太が揃ってやって来た。最近では滅多に会う事もなかった二人を見て、歩美は無意識の内に安堵のため息をついた。

「なんだ? 事件か?」
「うん…、そうみたい」

 背の高い元太が人混みの向こうを伺うように視線を動かした。
 何度遭遇した事があっても、この空気には慣れることはないし、慣れるものではないのだと歩美は思う。むしろ、そう思えることで安心しているのも事実だった。

「元太君と光彦君は、一緒に出かけていたの?」
「はい。それと元太君のクラスの子も一緒に、映画を観に行ってたんです」
「すげー面白かったぞ! 最近テレビでよく宣伝しているやつ!」

 元太は巷で騒がれている洋画のタイトルを口にした。アクション物のそれは確かに男子だけではなく広い世代に好まれているらしいが、小学生の頃は仮面ヤイバー以外にもアニメくらいしか興味を持たなかった彼らがそれを観に行って来たという事実に、歩美は少しだけ焦燥感を覚えた。
 元太は柔道部に入ってからとても強くなっていて、光彦は体育委員長になって絶対的な信頼を集めている。いつまでも小学生の頃とは同じではないのだと分かっていても、時々置いていかれそうになる。
 そもそもこんなパトカーが停まっているような傍でのんきに会話をしている場合ではないのかもしれない。やっぱり自分達は少し感覚がずれているのだろうか。歩美は思考から逃れるように視線を動かす。

「あれ?」

 人だかりの向こうから、見覚えのある二人の姿が出てきたのが背の低い歩美にも見えた。

「コナン君と…、哀ちゃん?」

 相変わらず事件は降りかかって来るようで、しかし好奇心に溢れた表情をしていた昔とは違ってコナンは少し疲れた顔をして歩いていた。隣を歩く哀に顔を寄せて何かを囁き、哀が首を縦に振った。その手が繋がれている事に歩美は気付いてしまい、先ほどとは別の種類のため息をついた。



 江戸川コナンが灰原哀と付き合っているという噂が流れ始めたのは、文化祭が終わってからだ。
 これまでも友人の少ない哀に対してやたらコナンが話しかけたりしていた事で曖昧な噂が存在していたが、文化祭当日、コナンが不審者に誘拐された時に校舎内がパニックに陥った中、哀はそれを追うように校舎を飛び出していったという。
 ミスコンに出場する予定だった歩美がその騒ぎを知ったのは、急きょミスコン中止のアナウンスが流れた後になってからだった。歩美は考える。コナンが連れ去られた時、歩美がもしその場所にいたとしたら、彼を追って行けただろうか。
 いくら小学生の頃から事件に遭遇した回数が多いとは言え、自分にはそんな捨て身の覚悟はなかった。その時点で哀に負けている。
 コナンとの噂とは別に、灰原哀にはずいぶん年上の彼氏がいるらしい、という噂は中学校に入学した当初から流れていた。歩美はその彼氏とやらに会った事がある。黒羽快斗と名乗った好青年は哀の友人である歩美にも丁寧に接し、爽やかな笑顔を向けてきた。二人が話すその雰囲気に、歩美は直感で感じたのだ。哀は彼を好きなわけではないと。
 きっと哀が本当に心を許しているのはコナンだった。幼い頃から同じ仲間である自分達にも分からないような会話をこっそりしている二人の雰囲気こそが恋人のようで、哀と黒羽快斗のそれはまた別物で、何かを繕った偽物のように思った。その正体は別の親しみ、例えば兄妹のような、親戚のような、友達のような。
 だから最初から知っていた。哀はコナンを必要としているし、コナンは哀を好きだった。歩美がコナンに想いを告げた時に、全て分かっていた。だから今更落ち込んだりしない。



 人混みを押しのけるように、そして隣にいる哀をその人々から守るように歩いてきたコナンは、ふとこちらに視線を寄越して目を丸くした。

「あれ、おめーら何してんだ?」

 何事もなかったように哀と繋がれていた手を離す。

「それはこっちのセリフですよ。また事件ですか?」
「おめー、昔と変わらねーな…」

 久しぶりに会ったのにまるで小学生の頃と変わらない会話に、歩美は思わず小さく笑ってしまった。コナンの隣にいる哀に視線を配ると、哀も同じように微笑んでいるような気がした。

「哀ちゃん、久しぶりだね」
「ええ」
「事件、大丈夫だった? またコナン君が解決してくれたの?」

 コナンは時々警察にも頼られるような存在になっていた。先日の誘拐事件もそれの逆恨みによるものだったという話だ。

「解決するのは警察の仕事だよ。俺は手掛かりをつかんで警察に伝えただけだ」

 眼鏡の奥にある瞳はやはり疲弊を見せていて、小学生の頃とは変わってしまったと思う。そしてその事にきっと元太も光彦も気付いていて、敢えて言わないのだろう。
 彼に何があったのか歩美は知らない。だけど、コナンの隣に哀がいてくれてよかったと心底思った。きっと歩美にはコナンを救う事はできないし、理解もできない。

「それよりおめーらは一緒だったのか?」
「ううん、私は友達と遊んだ帰りなの。元太君達は映画を観に行ってたんだって。コナン君と哀ちゃんはお出かけしてたの?」
「ああ」

 コナンはお洒落なチノパンのポケットに手を突っ込みながら、

「よかったらみんなで飯食いに行かねーか?」

 ポケットからスマートフォンを出して、画面に指を滑らせている。哀が呆れたようにコナンを見た。

「あなた、現場の後でよく食欲が沸くわね」
「…仕方ねーだろ。頭使って腹減ったんだよ」

 二人の関係が変わったとしても、その会話は昔と一緒で、歩美は思わず笑い声を立てた。その隣で元太も可笑しそうに声を噛み殺している。

「ぜひ行きたいです」

 答えたのは光彦だ。
 久しぶりの五人での再会に、歩美は胸を震わせた。確かに歩美はコナンを好きだった。でもそれ以上に歩美は哀を親友として好きだったし、この五人で過ごした時間を大切に思っていた。
 大人になるにつれて歩いていく道は少しずつ逸れてきたけれど、それでもこうしてまためぐり逢える時間を嬉しく思った。道と道が交わったこの瞬間。
 誰が言い出したわけでもないのになんとなく五人の足が前へと進み、歩美は哀の隣を歩いた。さて、一体何から話そうか。



(2015.3.19)