ふと気がつくと教室の時計は午後六時を示していた。
しまった、とコナンは思う。つい読書に熱中してしまった。とは言っても、遅くなったところで、今では一人で暮らしているコナンに待っている人なんていないのだけれど。
夕方の終礼の後、当番だった日直の仕事をしていると、雷が鳴り瞬く間に夏の豪雨に襲われたのだ。そんな中帰られるはずもなく、鞄に入っていた読みかけの推理小説を読んでいたら、時間を忘れてしまった。
教室には誰もいない。
ため息をついて、椅子の引きずる音を鳴らしながら立ちあがると、ドアが開いた。
「あら、まだいたの?」
鞄を持った灰原哀が、切れ目の瞳を丸くする。
「おまえこそ…」
「私は忘れ物を思い出しただけ」
哀はコナンの手元を見て、苦笑する。
「あなたは読書に夢中になっていたってところね」
「そういうおまえも、こんな時間まで何を…」
終礼が終わって一時間以上が経っている。鞄を持っているところを見ると、一度帰宅したようにも思えない。
途端にコナンは仏頂面になった。
小学一年生から知る哀は、中学校に入学してからますます綺麗になった。同じ幼馴染の歩美の情報によると、哀は週に一度のペースで男子から告白を受けているという話だ。
哀はそれをコナンには話さない。
だからコナンからも何も聞くことが出来ないでいる。
もう八年も近く一緒にいるのに。
同じ境遇の中で、お互いを理解し合ってきたと思うのに。
今更そんな陳腐な出来事を隠されると、胸糞が悪い。
「江戸川君、どうしたの?」
机から忘れ物とやらを取り出しながら、哀はコナンの様子に首をかしげる。
コナンは自分の席の椅子を戻し、ゆっくりと哀に近付いた。哀は目を見張ってコナンを見上げる。いつの間にか出来た身長差が、時間の流れを知らせる。
「なぁ」
静かにコナンはつぶやいた。
「おまえ、付き合いたいって思う奴いねーの?」
「え?」
「男振ってばかりって話じゃん」
その言葉に、哀は顔をしかめ、目線を逸らした。
「…あなたには関係ない話だわ」
関係ない。
その一言に、ちくりと胸が痛み、コナンは窓の外に目を向ける。雨の止んだ空は生温かく濁って見えた。
哀は忘れ物を鞄に入れ、コナンを置いて教室を出ようとする。
「灰原」
思わず白い腕を掴んだ。その細さに驚きながら、
「他の男が駄目なら、俺と付き合ってみようぜ」
自分の吐いた科白に更に驚愕した。
言ったコナンが驚くのだから、言われた哀は言葉も出ずに、唖然とコナンを見つめる。
ほんの少しの間見つめ合い、先に口を開いたのは、哀だった。
「…あなた馬鹿?」
いつものしかめ面に戻って、哀は今度こそ教室を出て行った。
我に返ったコナンは、今になって動悸を覚える。だけど、どこかで可笑しくて笑ってしまう自分がいた。
最後に見た哀は、確かに頬を赤く染めていた。このときばかりは名探偵ならではの洞察力を持つ自分を自画自賛する。
コナンも教室を出て、まだ廊下を歩く哀を追いかけた。
気付けば空には虹がかかっている。
どんな言葉で本気を伝えてみようか。
(2014.8.13)