Gotta Go My Own Way

 コナンが退院して数日経ったある日、コナンの同級生が遊びに来た。無邪気な子供たちの中に哀が混ざっていない事に蘭は安堵を隠せないでいた。
 キッチンでお菓子やジュースを準備しながらコナンの様子をうかがうと、コナンも他の子供たちと同様に笑顔で話に盛り上がっているようだった。こうして見るとその無邪気さはまるで本当に子供のようだ。それに何度騙されただろう。
 運んだお菓子とジュースをテーブルの上に置きながら、正面からコナンを見る。

「みんなが来てくれてよかったね」

 蘭が言えばコナンは曖昧に笑ってうなずいた。その瞳を見ればただの子供ではない。その瞳の奥側で彼は何を考えているのだろう。結局のところ、コナンが新一であっても誰であっても、蘭にはそれを理解することなんてできないのだ。



 元太達が帰る時間になり、先にドアを出た元太と歩美を気にする事もなく、いつまでも玄関先でコナンと光彦が残っている事が気になり、自室にいた蘭はそっと玄関に近付いた。

「…灰原は風邪なんかじゃねぇと思うんだ」

 コナンの低い声が狭い玄関にこもる。その声も蘭の前では決して発することのない声で、またひとつ蘭は寂しさを覚えた。

「コナン君。仮に灰原さんが風邪じゃないとして、どうして灰原さんはそんな嘘をつくんですか?」
「風邪っていうのはただ学校を休みたいだけの理由作りだと思う。でも何故休んでいるかが問題だ」
「どうしてなんでしょう。コナン君は何か心当たりがあるんですか?」
「…ないとは言い切れないけれど、確信は持てない。俺の足はまだこんなだし、光彦達に様子を見に行って欲しいんだ」

 コナンの声が儚く聞こえた。

「コナン君…」

 光彦の声が訝しげに響く。

「コナン君は、灰原さんの事をどう思っているんですか?」
「…どうって?」
「風邪で欠席している灰原さんを今まで気にしたことなんてなかったじゃないですか。コナン君は蘭さんを好きだったはずです」

 光彦の言葉に、盗み聞いていた蘭は思わず声を漏らしそうになり、口許を押さえた。心臓が大きく音を鳴らしている。

「…とにかく、頼んだぜ光彦」

 話を逸らすようにコナンはつぶやき、光彦を玄関から追い出した。
 誰もいなくなった玄関でコナンは深くため息をつき、ゆっくりと松葉杖をつきながらリビングに歩いてくる。蘭は慌ててその場を離れて、キッチンへ入った。

「蘭ねぇちゃん」

 いつもの高い声で、コナンもキッチンに顔をのぞかせた。蘭は何事もなかったようにグラスを洗いながらコナンに振り向いた。

「…なぁに?」
「何か手伝うことある?」
「何もないわ。コナン君はもらったプリントの宿題でもやったら?」
「――聞いてたんでしょ、蘭ねぇちゃん」

 コナンの言葉に、グラスを洗っていた蘭の手が止まる。

「光彦とボクが話しているところ、盗み聞きしていたでしょ」
「ぬ、盗み聞きなんて、まさか…」
「嘘は駄目だよ、蘭ねぇちゃん」

 笑って誤魔化す蘭に、コナンは鋭く指摘する。まるで幼い頃の新一と自分だ。つまらない嘘をつく蘭をいつも新一は見透かしていた。だから安心して嘘をつけた。いつだって新一は蘭を正しい方向に連れて行ってくれた。

 ―――コナン君は蘭さんを…

 光彦の声が鼓膜の内側でこだまする。

「コナン君…、光彦君が言っていた事は本当なの?」

 蘭は濡れている手をそのままに、シンク台に寄りかかるようにしてしゃがみ込んだ。コナンと目線の高さが合い、懐かしさを覚えた。

「コナン君は、…新一なの?」

 思わず声に漏れた。コナンは表情を変えないまま、松葉杖をつきながら器用に近付いてきた。そして蘭の髪の毛にそっと触れた。その指もその表情も、子供のものではない。蘭は確信していた。
 気を失っていたコナンが目を覚ましていた時はどうでもいいと思った。コナンが意識を取り戻しただけで十分だった。なのに人間とは欲深い生き物だ。好きな人のことになれば、もっと知りたくなる。問い詰めたくなる。

「光彦が言っていた事は本当だよ」

 コナンは静かにつぶやいた。

「ボクは蘭ねぇちゃんの事が好きだよ」

 蘭の長い黒髪を小さな手で一通り指で透かし、その手を離す。もっと触れられたいと思ってしまった。蘭が顔をあげると、コナンの困ったような表情に出会う。

「でも、蘭ねぇちゃんは新一兄ちゃんのことが好きなんでしょ?」
「…だって、コナン君は新一なんでしょ?」
「そんなわけないじゃない。ボクはただの子供だよ」

 コナンは可笑しそうに無邪気に笑う。
 裏切られたようだった。蘭の瞳から涙が溢れる。コナンはゆっくりと再び蘭に近付き、しゃがんだままの蘭を小さな身体で抱きしめた。

「本当に好きだったんだ、蘭ねぇちゃん。…だから、だからさ」

 心なしか、いつも自信ありげなコナンの声が震えているように感じた。

「ボクが新一兄ちゃんの代わりに守るよ」

 コナンの言葉に蘭は涙を拭った。ただの子供だというコナンの小さな肩に、額を預ける。少しだけドキドキした。

「…新一兄ちゃんよりいい男はたくさんいると思うよ」

 何があってもコナンは新一ではないと言い続けるのだろう。そして、もう新一は自分の手に入らない事を悟って、蘭は静かに瞳を閉じる。

「そうかもね…」

 蘭がコナンから離れて顔をあげてそう言葉を返すと、コナンは眉をひそめて傷ついた表情を浮かべた。それだけで救われた気分になる。ほんの少しだけ。

「コナン君、今日の夕飯は何がいい?」

 気を取り直すように立ち上がり、無理やり明るい声を出すと、コナンは少し考えてリクエストを出した。それは蘭が一番好きなメニューだった。


(2015.1.5)