花火もよう


 放課後になり、哀はランドセルを背負って廊下を歩いた。三つ隣の教室では先にホームルームを終えていたのか、生徒の数はすでにまばらだ。

「あれ、灰原さん。どうしましたか?」

 教科書を整理しながらクラスメイトと談笑していた光彦が、こちらに気付いたのかそばかすがかった頬を緩ませた。哀は教室のドア近くに突っ立ったまま、教室内の光景を何度も確認する。

「もしかして、コナン君を探していますか?」
「もう帰ったのなら、別に……」

 目敏い光彦におののきそうになったが、そもそも哀がコナン以外を理由にこのクラスを訪ねる事など最初からありえない。型にはまることでしか行動できない自分自身に呆れながら哀がしどろもどろに答えると、光彦はふっと笑った。

「会っていないんですか?」
「え?」
「最近、コナン君に、会っていないんですか?」

 何かを見透かしているような視線に、哀とコナンの不自然さを改めて指摘されるような心地悪さを覚えた。

「コナン君、最近あまり元気がなさそうなんですよね」

 それだけ言い残して、光彦は男子生徒の輪に戻っていった。それきりこの教室への用を失ってしまった哀は、ランドセルの紐を握ったまま廊下を歩き、正面玄関で靴を履き替えて校舎を出た。西に傾いた日差しはほとんど熱を持たず、冷たい風が鼻先に触れる。
 今年の夏は、一度も花火を見る事はなかった。成長と共に少年探偵団の遊び方が変わり、友人付き合いにも変化があったようだった。そのせいか、阿笠邸の屋上で灯した線香花火は一年経った今でも哀の心をくすぶり続けている。許されたと思っているわけじゃない。受け入れられたと勘違いしているわけじゃない。ただ、その光を合図に二人でいる時間が自然になった。宿題にうんざりする放課後も、眠気と共に歩く朝も。
 何も持たない事が当然だったのに、今ではそれが心許ない。通学路から外れた歩道を歩いた哀は、ひとつのビルを見上げた。毛利探偵事務所、と書かれた窓は西日を反射させている。哀は意を決してビルの右端にある古びた階段を昇った。二階の探偵事務所内は誰もいないのか、ドアの梳きガラスは光を映していなかった。更に階段を昇り、三階に辿り着く。ドアホンに手を伸ばした途端、ここにきて迷いが生じた。
 私は何を必死になっているんだろう。右手人差し指に静電気が走る。季節が巡っていくように、取り巻く環境の色も変わる。流れに身を任せていれば、人は簡単に離れられるのだと知った。
 細い階段下からは車のエンジン音が頼りなく響く。ガチャリ、と鍵のまわる音がした、と思ったら、ドアが開いた。

「……灰原?」

 薄く開いた隙間から、眼鏡をかけたコナンの少々驚愕した顔が覗いた。

「何してんだよ?」
「体調が悪いって聞いて……」
「体調? 別に悪くないけれど」

 怪訝なコナンの様子に、哀は自分の言葉間違いにはっとした。光彦が言ったのは「元気がない」のであって、その二つは大違いだ。チャイムを押そうとしていた指先がやり場を失ったまま、緊張を巡らせる。
 たった二週間ぶりだというのに、コナンに会うのがひどく久しぶりに思った。元は一人だったはずなのに、二人の時間が細胞にまで沁みついているようで、哀は身動きさえとれない。

「中、入るか?」

 うなずく以外の選択肢はなかった。