夏休みを利用して米花町にある実家に帰るなり、姉がスリッパを鳴らして玄関へと走ってきた。
「おかえりみっちゃん! ハガキ届いてるよー」
そうでなくても外は茹だるような暑さだというのに、姉のテンションは更に室温をあげているようだ。
「ハガキ…ですか?」
「帝丹小学校の同窓会の詳細。前に出席の連絡をしたでしょ? それにしても、みっちゃん達が卒業してちょうど十年になるのねぇ」
今では立派に社会人をしている姉がしみじみとつぶやいた。僕は二十二歳になって、途方もない就職活動に追われている。
そのまま僕は荷物を置きに二階にある自室へと階段を上った。住んでる頃には気付かなかった木造の古い匂いが鼻にさわり、僕はもうここの住人ではないことを知る。姉は当然の顔をして僕の後ろをついて来て、悪びれもなく僕の部屋に入る。
僕達は仲の良い姉弟だ。だからそれに対して僕は怪訝に思う事もない。
実家に住んでいる姉が近況を語る。母親の最近の口癖、父親が以前よりも威厳がなくなった事、会社の先輩の話、隣の家の長男が結婚する話。そして僕との思い出話。
姉が僕を「みっちゃん」と呼ぶたびにくすぐったい気持ちになる。いくつ歳を重ねても、米花町は僕を子供に還す。
久しぶりに実家でお袋の味を堪能し、ワンルームマンションより大きい浴槽で身体をほぐし、ようやく静かな時間がやってきた。僕は自室で姉から渡されたハガキをじっくりと眺める。
帝丹小学校 平成○○年卒同窓会
その一行から始まる下には日時と場所が書かれている。
小学生だった頃がもう十年以上前になる。日頃はその時代を思い出す事も少ないので、もっと遠い過去のようにも思う。ただ幼かった日々と言うのは、誰もが経験するわけではない壮絶で理不尽の下で守られた時間だったように記憶している。
その忘れたくても忘れられないような時間の中心には、一人の男の子がいた。僕は彼をコナン君と呼んでいた。あだ名でもふざけているわけでもなく、これが彼の名前だったのだ。
コナン君は頭脳明晰、運動神経抜群で、まさに選ばれし者だった。自信に満ち溢れたまなざしで物事を冷静に見据え、だけど決しておごることのないその姿勢は、クラスメイトはもちろん、大人達をも魅了した。
僕やクラスメイトの元太君や歩美ちゃんもその一人だった。好奇心旺盛だった僕らはコナン君を仲間に引き入れて少年探偵団を結成し、実際に事件に巻き込まれ、血生臭い現場を見てしまった事もある。それでもトラウマになっていないのは、コナン君が僕達を守ってくれたからだ。それに気付いたのは一体いつだっただろう。
小学校高学年になる頃頃には少年探偵団の活動も減って行き、いつしか僕らはそれぞれの友人とつきあうようになり、つるむこともなくなった。それを寂しいと思わなかったわけではないが、その頃の僕は内心ほっとしていた。
コナン君はとても輝いていて、憧れるのと同時に羨望がいきすぎて嫉妬しそうになっていたから。
夏休みの間に行われる同窓会の事をすっかり忘れていた僕は、出席することを同じ大学に通う恋人に連絡すると、思った通りやきもちを焼かれた。
『嫌だなぁ。きっとみっちゃんの初恋の人もいるんでしょう?』
彼女が僕を呼ぶ「みっちゃん」は姉の呼ぶそれにはない甘さを含んでいて、受話器越しでも僕は口元がにやけないように頬に力を入れる。
「そんな人いないよ」
『本当に?』
「本当に」
小学生の頃は正義感の塊のだった僕も、今となっては世の中を上手く歩くため必要な嘘があることを知っている。僕の言葉に納得した彼女は、「可愛い女の子についていったら駄目だよ」と僕を何だと思っているのか分からない発言を残して電話を切った。
しばしその高い声の余韻に浸りながら、僕は再び小学生の頃を頭の中で反芻する。
僕は、僕の持っていない何かを持っている人に惹かれる傾向にあるらしい。同性であればコナン君はもちろん、僕にはない力強さと温かさを持った元太君。そしてきっと僕の初恋は、誰にでも笑顔で明るい歩美ちゃんだ。
小学生の頃、僕は二度ほど恋を経験した。一人目は歩美ちゃん、そして二人目は灰原哀という女の子だ。
僕は彼女を灰原さんと呼んだ。下の名前で呼ぶ事を歩美ちゃん以外には許す事のない、どこか距離を置いたクールな女の子だった。
若干七歳にして僕は世の中に溢れた理不尽を知る事になった。歩美ちゃんも灰原さんも、コナン君を見ていた。
同窓会に着て行く服に迷う。あまりかっちりしすぎても浮きそうだし、そもそも暑い。人と同じ事が嫌でいつだってアイデンティティを求めるくせに、人の輪からはみ出すことを恐れる自分を、僕は嫌いだ。
結局僕は、成人式で着たスーツのズボンに、グレーのワイシャツを合わせて会場に向かって歩いた。小学校の頃に仲良くしていた元太君から久しぶりにメールがあったので、途中で待ち合わせして行く事にした。
「おー、光彦! 久しぶりだな」
黒ズボンに白シャツできめた元太君は相変わらず大きくて、少年のように歯を見せてにかっと笑った。
「うん、久しぶり」
僕は答え、並んで歩く。元太君は幼い頃から大きくて強くて憧れたけれど、黒い感情に飲み込まれる事はなかった。元太君が見る景色は、僕のそれときっと同じだと分かっていたから。
僕らは歩きながら近況を報告し合い、そうしている内に会場であるホテルに着いた。
ホテルのエントランスは妙に懐かしい気持ちにさせる。実家がお金持ちだとかそんなわけではないが、少年探偵団の活動によって僕らは子供の身分でパーティーに呼ばれる事も珍しくなかった。当時はそれを当然だと思っていた。僕も元太君も、自分の力を過信していた。
受付で名前を書いて、会場に入る。周りには僕らと同じような服装の人達が多くて、安心した。
会場の端にビュッフェが並んでいて、会場の雰囲気に慣れないままそこに向かって歩く。子供だった頃は会場全ての背が高く見えて、僕はいろんなものを見上げてばかりだった。会場も広く見えて、テーブルも会場の大人たちも豪華なシャンデリアも大きく見えたはずなのに、今は全てを見渡すことが出来る。でもあの頃にあった堂々さは今となっては皆無だ。
一枚の更に適当にサラダを取り分けて、一つのテーブルに着いた。去年のクリスマスに恋人からもらった腕時計に目を向けると、始まるまであと十分といったところか。
他にも同じクラスだった子達が僕や元太君に話しかけてきて、とりとめのない話をする。それまでただの雑音に聞こえていたものが、突然ぴんと張り詰めたものへと変わり、僕は入口に視線を投げる。
そこには、コナン君と灰原さんが立っていた。