夢にタイムマシン

 その二人はどこの主役かと思えるほど正装を着こなしていて、雰囲気が際立っていた。大学生らしい会話で盛り上がっていた会場が、二人の登場によって息を飲む。
 黒いタキシードにトレードマークでもある黒縁めがねをお洒落に使いこなしたコナン君と、ひざ丈のワインレッドのドレスに髪の毛をふわりとまとめている灰原さん。
 小学生の頃から彼らはとても大人っぽかった。持っている知識量はもちろん、醸し出す雰囲気も。一度元太君が「おまえら年齢ごまかしているんじゃねーか?」とからかった時、コナン君は複雑そうに笑っただけだった。だけどそんなコナン君もサッカーやホームズの話になると少年のように無邪気になったので、それに僕は救われていた。そうでもないと同じ地面に立っている事を忘れそうになるくらい、彼らは雲の上の存在だったから。
 小学生の頃は同じくらいの身長だった二人もしっかりと差が出来ていて、灰原さんが顔をあげてコナン君の耳元で何かをささやくと、少しだけ身体をかがめたコナン君が目を細めて笑う。
 その光景を見ただけで、彼らの関係を分かってしまった。



 少年探偵団が一番活発だった小学一年生の頃は一緒になって無邪気になっていたように見えていたコナン君の瞳に、いつしか陰りが見えた。彼に何があったのか分からない。
 小学二年生以降はクラスが離れていた事もあり、付き合う友人も変わっていった事で僕はコナン君とも灰原さんとも疎遠になっていった。元々二人は遠縁の親戚だったらしいので、中学生になっても相変わらず二人は一緒にいて、そしてとても目立っていた。
 いつしか二人は付き合っているのではないかという噂が流れ始めたが、真相は誰も分からない。僕から見ても二人一緒でいることは自然で、恋人にも見えたし家族のようにも見えたのだ。



 空気を仰ぐように会場を見渡したコナン君が、灰原さんの手をとってこちらに向かって歩いてきた。僕は動揺した。もしかしたら僕に気付いたのだろうか。いや、体格の大きい元太君が目立ってしまったのかもしれない。
 会いたくないという感情とは違う。でも今会ったところできっと別世界の人間だという事を見せつけられるようで、僕の自尊心を傷つけられるようで、僕はそれからどうやって守ったらいいのか。

「光彦、元太。久しぶりだな」

 案の定コナン君はビュッフェにも目を向けずに、僕らに手を振った。
 こんなに目立つ二人と僕は仲良かったのかと、過去の事が夢のように思えた。

「おまえら、相変わらず仲良いな!」

 元太君は僕に出逢った時と同じように笑い、声をあげる。きっと彼には僕のような黒い感情はないに違いない。

「そういうおまえらだって。会場に入ったらすぐに分かったぜ」

 僕は二人の顔をまじまじと見つめ、気付いてしまった。彼らは中学生の頃から顔が全く変わっていなかった。
 大人っぽい雰囲気と正装を着こなしまっすぐに伸びた背筋に目を奪われたけれど、彼らはまるでネバーランドの住人のように成長が止まっているようだった。
 黒縁眼鏡と何でも見透かすその視線で誤魔化しているけれど、コナン君の青みがかった瞳のあどけなさは二十歳すぎた男のものとは思えないし、灰原さんも癖のある茶髪をアップにしていることで大人っぽくみえるけれど、肌のきめ細かさも口元も、中学生のようにしか見えない。その表情でその格好。そのアンバランスさが危うい二人の雰囲気を作っている。

「円谷君は元気にしていた?」

 呆然と二人を見ていた僕に、灰原さんがここに来て初めて口を開いた。記憶よりも少しだけ低めのトーンの声は、途端に僕に小学生の頃に感じた理不尽さを思い出させる。

「は、はい…」

 昔のような口調で僕はうなずき、灰原さんの目を見ることをとてもできなくて、少しだけ視線を落として淡いピンク色のリップが引かれている唇に気付き、彼らはいったいどんなキスをしているのだろうと考える。
 元太君とコナン君が話している間、僕は同じクラスだった別の男子に声をかけられ、逃げるように二人の元から去った。他のクラスメイトだった子達と当たり障りのない会話をし、いつの間にか同窓会が始まっていて、グラスに注がれたシャンパンで乾杯をし、そして僕は会場の熱い空気から逃げるように廊下に出た。
 重たい扉を開けた廊下は、会場内と同じカーペットが敷かれていて、いくつかソファーが置いていある。女子トイレの近くでは女子が数人、昔話で盛り上がっているようだった。時折端にあるエレベーターが停まり、遅れてきた人達が足早に会場へと入って行く。
 同窓会とはこんなに気が重いものだっただろうか。僕は体重を預けるようにソファーに座る。昔の僕はもう少し社交性があったような気がするのに、馴染みのない空気に疲弊が増していく。
 エレベーターがチン、と何度目かの音を鳴らして止まり、ドアが開く。何気なく視線をやると、見覚えのある顔に出逢った。

「あれ、光彦君?」

 黒髪をまっすぐに下ろした彼女は、白いワンピースがとても似合う。

「…歩美ちゃん」
「どうしたの? 中に入らないの?」
「ちょっと疲れてしまって。歩美ちゃんはどうしたの?」
「私は夕方にちょっと学校に行く用事があって、遅れちゃった」

 歩美ちゃんはこの近くの大学に通っているはずだった。就活関係だろうか。研究室の何かだろうか。この不安定な時期では詳細を聞く事もできず、僕は適当に相槌を打つ。
 シンプルなネックレスがかかった胸元でさらりと傷みを知らない髪の毛先が揺れた。――僕の初恋の人。
 もう十五年前の事なのに、当時の自分を思い出すと顔が赤くなった。少しだけ恋人への罪悪感が芽生える。
 遅れた事をしょんぼりと表情に出しながら話す歩美ちゃんは、昔から変わらない。だけどその輪郭、顔つきや視線は大人っぽくなった。きっと元太君や僕と同様に。
 歩美ちゃんが僕に近況を訊ねるので、同窓会に出席したことで恋人にやきもちを焼かれたことを話すと歩美ちゃんは可笑しそうに笑った。その原因が彼女自身だなんて、きっと彼女は気付かない。僕はいつも感情を閉じ込めていたから。歩美ちゃんにも、灰原さんにも。
 だけど会場内で自分を繕いながら話しているよりもずっと、歩美ちゃんとの会話は楽しめた。そうしている内に、歩美ちゃんがふと視線をあげ、

「あ!」

 表情が一変し、僕もつられて振り返る。

「哀ちゃんにコナン君! 久しぶりだね!」

 会場内で見た時と同じように、二人は見えない鎖で繋がれているかのように一緒に歩いてきた。

「歩美ちゃん、久しぶりだなぁ」
「相変わらずね。元気だった?」
「元気だよ! 二人も変わらないね」

 歩美ちゃんの「変わらないね」の言葉に重みはない。ありがちな挨拶の一つだ。この会場の誰も、彼らの奇妙さに気付いていないのだろうか。

「光彦、どうしたんだ?」

 歩美ちゃんが灰原さんと会話に夢中になっている間、コナン君が僕の隣に立った。

「なんだか様子がおかしいけど、気分でも悪いか?」

 コナン君のまっすぐな視線は、僕の隠した心すら暴いてしまう。真実を追う彼の姿勢は、今の僕には恐怖だ。

「…そんなこと、ないけど」
「ならいいけど。元太も心配してたぜ? せっかく久しぶりに会ったんだ。色々話そうぜ」

 無邪気に言い放つコナン君に、僕は曖昧にうなずいた。――今更何を話そうというのだ。

「コナン君…」

 黒い感情は溢れ返り、僕は無意識の内のその名前を紡いでいた。コナン君は邪気の含まない青い瞳を僕に寄越す。

「なんだ?」
「僕は、コナン君がずっと羨ましかったですよ。頭もよくて運動神経もよくて小学校でも中学校でも人気者で、灰原さんと付き合ってて。…僕もコナン君みたいになりたかった」

 弱々しく吐かれた言葉に、僕の本音が隠れていた。
 言ってしまってから口を押さえるけれど、もう遅い。コナン君はきょとんと僕を見つめた後、ふっと口元に笑みを浮かべた。

「羨ましいって何が? 頭がいい事か? スポーツできた事? 人気者? それは光彦が俺を知らないだけで、俺は本当はそんなに綺麗な人生を送ってないよ。両親と暮らす事も叶わなかったし、失ったものもある。灰原がいてくれて救われた部分が大きいから、例えおまえでも灰原を渡すことはできないけれど、それ以外は大した事ない。…俺は光彦のようなまっすぐな人間になりたかったよ」

 彼の口から飛び出したのは、想像もした事のないものだった。
 いつも自信に溢れていた彼の隠された言葉。僕はコナン君を見る。この成長のない姿ももしかしたら、この言葉に隠されているのだろうか。
 何より、僕が灰原さんを好きだった事を気付かれていたなんて知らなかった。昔話だとしても、どうしようもない罪悪感に苛まれる。人が誰を好きになろうと、問題はないはずなのに。
 黙り込んだ僕に、コナン君は自嘲気味に目を伏せて微笑んだ。

「光彦が思うほど俺はできた人間じゃないし、大人じゃないよ。子供の頃は大人ぶっていただけだ。今ならそれがよく分かるんだ」

 彼の言う事は真実なのかもしれないと思う。子供から見た大人の世界が脅威であったように。でも本当はコナン君も灰原さんもきっと僕達と同じ地面を歩いていたのだろう。僕はそれに気付かなかった。見えないまま畏怖して遠ざけてしまった。

「江戸川君、そろそろ行きましょう」

 歩美ちゃんと話していた灰原さんが、細い手首につけられた腕時計に視線を落としながらコナン君を呼んだ。

「悪いな、光彦、歩美ちゃん。俺らこれから用事があってさ。また元太も一緒に集まろうぜ」

 コナン君は僕達に軽く手を振り、もう片方の手を当然のように灰原さんの指に絡めてエレベーターに乗って行ってしまった。
 閉じたエレベーターの扉をぼんやりと見つめる。もしそれがタイムマシンだったら僕は喜んで乗るだろう。そして幼い頃の僕に教えてあげたい。彼らは僕達と同じ子供で、同じ景色を見ているのだと。

「光彦君、中に入ろう?」

 歩美ちゃんの言葉が僕を現実に引き戻し、僕はうなずいた。ドアを開けても会場の空気は僕に熱さをもたらさない。平常心を取り戻しながら、元太君の姿を見つけ、そして帰ったら真っ先に恋人に電話をしようと僕は思った。



(2015.5.1)