Choosey Lover

 半年ぶりに降り立った東京駅のホームは湿度が高くて、更に人口密度によって空気が薄いように感じた。
 服部平次は顔をしかめて、手で顔をあおぐ。

「この蒸し暑さ、何やねん」

 そうひとりごちるが、残念ながらここには「梅雨なんやからしゃーないやん。我慢しぃや」と突っ込みを入れてくれる幼馴染はいない。今回の上京のメインはあくまで仕事なのだ。
 だが休日を使って前泊をする理由はひとつ。九年の付き合いになる見かけ上歳の離れた親友に会うためだ。



 来訪するのは何度目になるだろう。今では地図など見なくても辿りつける閑静な住宅街の一角、工藤邸のチャイムを押した。
 平次は荷物を持っていない方の手で汗を拭いながら目の前に立ちはだかる大きな屋敷を見上げる。前回コナンに会ったのは彼が中学三年生の秋で、文化祭の準備が面倒臭いとぼやいていた。すっかり中学生に馴染んでいるその姿は不自然なはずなのに、変にバランスがとれていてそれがまた奇妙だった。
 工藤新一は六年前に死んだらしい。解毒剤の開発ができなかったから、とコナンは言っていたが、その三年後に彼が長い間想っていた幼馴染が結婚したことを思えば、その因果関係は否定できず、必然的な選択だったのだろうと思う。
 それこそ出逢ったばかりの頃のコナンは好奇心旺盛でテレビで報道されていた高校生探偵そのもので、それは平次にも刺激を与えたが、三年前くらいからコナンは大人しくなっていた。
 もちろん事件に遭遇すればその推理力で必ず解決へと導くのだが、憂いを帯びた瞳を見て、平次も複雑な気持ちになった。自分に置き換えて考えてみても、十歳も若返って不自由さを体験し、好きな女が自分以外の男を選ぶのを近くで見るなんて、残酷だ。

「あら、服部君?」

 ぼんやりと物思いに耽っていたら、工藤邸のドアが開いた。そして中から出てきたのはなんと灰原哀だった。

「あれ、ねーちゃん。久しぶりやんな。工藤は?」
「江戸川君ならまだ寝ているけど…。服部君が来るって、今日だったの?」

 まるで自分の家かのように、哀は平次を中へと招き入れた。コナンが毛利探偵事務所を出てからは東京に来るたびこの家に世話になっていたが、哀がいるのは初めてのことだった。

「まだ寝とるって…。今何時やと思ってんねん」

 爽やかとは言えない日曜日の午前十一時、平次が呆れると哀が肩をすくめた。

「仕方ないわ。昨日遅くまで本を読んでいたみたい。あなたが来ること忘れているのかもね」

 やけにコナンの生活事情に詳しい哀を平次が疑問に思ってながらリビングに荷物を置く。「もういい時間だし、せっかくだから起こしてきたら?」と哀に上手くこき使われるあたり、哀には敵わないと平次は思う。
 シンプルな無地の黒Tシャツにチノパンを履いた哀はすらりとしていて、小学生だった頃の面影は残っているものの、そのスタイルの良さは大人顔負けのものだった。これで高校一年生はあかんやろ…とこっそり思いながら平次は階段を昇り、寝室にドアを開ける。

「おい工藤、いつまで寝とるんや」

 広い寝室の窓際にはダブルベッドがひとつ、そこで無防備に眠るコナンの姿を見て平次はあんぐりと口を開けた。
 上半身は何も身に着けず、黒いスウェットのパンツだけを履いて眠るコナンの姿もどう見ても高校一年生ではない。そこに漂う雰囲気は、男の平次から見てもどきりとしてしまうほどだった。
 しばらく何も言えず呆然としていると、コナンは「ん…」と何とも色気あるうめきを漏らしながら寝返りを打ち、

「哀…?」

 とつぶやいた。伸ばした手が探るように動き、

「今、何時…?」

 シーツの上を彷徨った手で目をこすりながら、コナンは薄く瞳を開く。

「もう十一時やで、アホ」

 平次の声に、コナンは目をぱっちりと開ける。

「は、服部!?」

 途端に飛び起きたコナンに、平次はため息をついた。

「工藤、おまえ色気ありすぎや。歳ごまかしてるってそろそろ気付かれても知らんで」
「つーか、おまえなんでここにいるんだよ?」
「アーホ。前から言ってたやんか。忘れとっただけやろ?」
「あ、ああ…、ごめん」

 頭をポリポリと掻きながら、コナンはベッドから降り、クローゼットからシャツを取り出してそれを羽織る。

「哀は? もう会った?」
「…哀って、灰原のねーちゃんやんな? おまえそういう呼び方しとった?」

 部屋を出ていくコナンについて行きながら訊ねる平次に、

「ああ、春から一緒に暮らしてる」

 コナンは振り向いて何でもないことのように言い、平次は驚愕した。

「一緒に…って、付き合っとるんか?」
「ああ」
「いつの間にそんなことになったんや? 前に会った時、そんな雰囲気なかったやん」

 それどころか、コナンは未だに消えない幼馴染への恋心に蝕まれていたはずだった。表には出さないし、彼自身諦めてはいただろうけれど、平次にはそれが見えていた。おそらく哀も同様だろう。

「急ってわけでもねーんだけどな」

 階段を降りてリビングに入ると、コーヒーの香りが漂っている。

「おはよう、江戸川君。朝ごはんは?」
「あー、もうすぐ昼飯の時間だからいいや。つーか、服部が来ること知ってたか?」
「知ってはいたけれど、それが今日ってあなたは教えてくれなかったわ」
「…悪かったよ」

 哀の持つマグカップを受け取り、コナンはそれをテーブルに置いて、「顔洗ってくる」と再びリビングを出て行った。
 平次が閉まるドアを見ていると、哀が平次にもコーヒーの入ったマグカップを渡してきた。

「おおきに」
「どういたしまして。江戸川君と出かけるんでしょ? 彼が準備するまでゆっくりしたら?」
「あ、ああ…、すまんな」

 何度も訪れたことのある家だというのに、妙に落ち着かない気分になって平次はソファーに腰を下ろした。
 もう以前とは違う雰囲気がここにはある。二人の空間にとって、自分は明らかな異邦人のようだ。

「工藤と一緒に暮らしとるんやってな」

 読みかけであろう本が置いてあるダイニングテーブルの椅子に腰をかけようとしていた哀に声をかけると、哀が平次を向き、目が合った。

「ええ」
「えらいびっくりしてもたけど。よかったやん」
「…何が?」
「好きやったんやろ、工藤のこと」

 コーヒーを啜りながら言うと、哀はむっとした顔をして、本を手に取った。

「人の事より、あなたはあの幼馴染とはどうなの」
「は?」

 哀のするどい指摘によって形勢逆転となり、何も言えなくなった。二人をからかおうと思う気持ちがなかったわけではないが、複雑な事情が絡み合う中でどこまで軽口を叩けるのか、それを見極めるのは少々困難だったのもある。

「待たせて悪いな、服部」

 再びリビングに入って来たコナンは着替えを済ませていて、整った顔立ちとシンプルな服装を着こなす長身さで放つオーラが際立っていた。テーブルに置いてあったコーヒーを手に取り、椅子に座る哀に何か話しかけている。哀もまっすぐにコナンを見上げていて、それを聞いて答える。
 小学生だった頃にはなかった二人の親密さを目の当たりにして、さらに居心地が悪い。

「服部、うちに泊まるだろ? 荷物、客室に置いていけよ」
「え…、いや…。邪魔やろうし、適当にビジネスホテル取るで」

 本来はここに泊まる予定であったものの、こんな二人と一晩過ごすなんて耐えられない。そしてさすがにそこまでの図々しさを持ち合わせていない平次が思わずたじろぐと、哀はくすりと笑った。

「心配しないでも私は今日は阿笠博士の家に泊まるから、今夜は二人で思いきり話し込めばいいじゃない。そうね例えば、プロポーズの仕方、とか?」

 先ほどの仕返しだと言わんばかりに目を細めて視線を寄越す哀に、平次は言葉を失くす。

「プロポーズ? おまえやっと決心ついたのか?」

 哀の言葉を受けて、昔と変わらない悪戯に満ちた笑顔を向けたコナンもどこか意地悪で、そして少し懐かしく思ってしまったのは平次の心の奥にしまっておくとして。
 そろそろ時効なのかもしれない。自分の相談内容の前に、二人のいきさつをどう聞き出し、選ばれし恋人となった二人をどうからかおうかと、平次は負けず嫌いの性格を以って思考を回転させたのだった。



タイトルは東方神起の曲から頂きました。
事情を知る服部君から見たコナン君と、事情を知らない学校の人達(少年探偵団を含める)から見たコナン君の見え方が違う、というお話でした。
同棲っていいよねー(ウットリ…)
(2014.8.12)