call my name

 放課後、哀がコナンの教室に顔を出すと、教室内でざわめきが漂った。コナンと付き合っているという噂は未だ健在な哀がコナンのクラスに来ることは滅多になかったので、その出来事に何事かと教室じゅうの視線が哀を刺す。
 そんな視線もおかまいなく、哀は教室に入り、

「吉田さん、一緒に帰らない?」

 鞄に教科書を入れてコートを着ようとしていた歩美の前に立つ哀に、教室内は期待外れと肩を落とした。
 歩美は丸い目を哀に向けて、うなずいた。視界の端にコナンが映ったけれど、敢えて振り向かないまま教室を出た。



「哀ちゃん、久しぶりだね」

 校門を出て、先に口を開いたのは歩美だった。

「元気だった?」
「ええ、吉田さんは?」

 何もなかったように世間話をしながら、哀は次に言うべき科白を考える。だけど頭と口が連動していなくて上手く言葉に出来ない。

「私は寂しかったな。哀ちゃんにもコナン君にも会えなくて」
「そう…」

 可愛らしい刺繍の入った手袋をはめた手で鞄を軽く振りながらつぶやく歩美は、どこかすっきりした表情をしていた。その横顔はやはり思った以上に大人びてて、どきりとする。

「哀ちゃん、私に気を遣わないでね」

 歩美は隣を歩く哀をまっすぐと見つめた。その瞳に濁りは見えない。

「私、哀ちゃんのことも好きなの。だから離れて行かないでね」
「………」

 目の景色が滲んで、歩美の顔さえおぼつかなくなった。
 気付いたら頬に生温かい液体が伝っていた。

「…哀ちゃん」

 歩美が近寄る。哀がまばたきをすると、涙が数粒、地面に落ちた。

「哀ちゃん、どうして泣くの?」
「ごめんなさい…」

 呼吸をすれば嗚咽が漏れて、鼻をすすった。

「吉田さん、ごめんなさい」
「謝らないで、哀ちゃん。私が先に抜け駆けして、振られただけなんだよ」

 ふわりと甘い匂いが鼻をかすめる。哀より背の低い歩美が、哀の首に腕をまわして抱きついていた。

「今日ね、哀ちゃんが教室に来てくれて嬉しかったの」

 涙はとめどなく溢れる。

「…どうしてそんなに優しいの」

 様々な言葉を考えていたはずなのに、口に出たのはそれだった。歩美は身体を離して目を丸くした。

「どういうこと?」
「私、あなたにひどい事をしたのに、どうして私を見捨てないの」

 涙声で哀が言うと、歩美は可笑しそうに笑った。

「何を言ってるの。哀ちゃんがそんな弱々しい事言うなんて、似合わないよ」

 肩を震わせながら笑い、

「言ったでしょ。哀ちゃんのことも好きなんだよ」

 ポケットに手を入れて、きちんと折りたたまれたハンカチを哀に差し出す彼女は、八年前の泣き虫の女の子とはもう違った。
 哀はそれを受け取り、ありがとう、とつぶやく。歩美は満足そうに笑顔を向けた。その表情は昔に亡くした姉と重なって見えて、更に涙が溢れた。



 その夜、目を赤くした哀に博士は心配そうに見てきたけれど、何も聞いて来なかった。夕食の間はコナンも同様で、いつもと同じ時間が流れた。
 教室に歩美を迎えに行った時からコナンはきっと気付いている。そして歩美が哀を許したことも。

「大丈夫か?」

 何のやる気も起きずにソファーに体重を預けていると、珍しくコナンがコーヒーを淹れて持ってきてくれた。哀は礼を言いながらマグカップを受け取る。

「ええ、大丈夫よ」
「歩美ちゃんと一緒に帰ったんだろ」

 コナンもコーヒーを飲みながらソファーに座った。

「…彼女、本当に優しかったわ。少し蘭さんに似ているかも」
「ああ、そうかもな。まぁ、歩美ちゃんのほうが甘えただけど」

 コナンは笑いながら言う。

「だからしっかり者のおまえのことが好きなんだろ」

 昼間の出来事を見ていたかのようにコナンは言う。哀は抱きしめられた温かさを思い出して、コーヒーを啜った。

「まだ円谷君には言ってないけど…」
「あー、多分元太の奴から伝わってるんじゃないか? それか、歩美ちゃんか」

 また学校で出会った時には自分の口から伝えようと哀は思う。それでも彼らに受け入れられるなら、高校が違っても一緒にいたいと思う。人生の中で出来た初めての友達と呼べる存在なのだ。

「なぁ、灰原」

 コーヒーをテーブルに置いたコナンが、まっすぐ哀を向いた。

「中学を卒業したら、一緒に暮さねーか?」

 突然の言葉に、哀はマグカップを両手で握った。コナンの顔を見れば、真剣なまなざしにぶつかる。

「…急に、どうしたの?」
「急じゃない。その…、おまえに告白した時から考えていたんだ」

 確かに冬休みの間、何度もコナンは夜に自分の家へと哀を誘った。だけど、哀の中で工藤邸に泊まるということは許されない気がして、いつも断っていた。自分の幸せを願って涙を流した博士を思う。

「博士にはまた俺からも話すから。…高校も別々になるし、離れたくねーんだよ」

 耳まで顔を赤くしたコナンを見て、愛しく思う。だから断れるわけもなくて、哀は笑った。

「あなた、私を名前で呼ぶのはベッドの中だけよね」
「は?」
「どうして?」

 哀もマグカップをコナンの物の隣に置き、コナンに向いた。突然話題が変わった事により訝しげだったコナンの顔は更に赤くなり、視線を逸らされる。

「…シラフの時じゃ、照れ臭くて呼べねーよ」
「それ、なかなかひどい科白って自覚ある?」

 哀が面白がって咎めると、

「…最善を尽くすよ」

 頬を染めて恨めしそうに哀を睨むコナンを見ながら、哀はどうやって博士を説得しようか考える。やっぱり父親らしく反対するだろうか。でもきっと幸せを願って許してくれる気がする。
 たった先ほど言われたばかりの一緒に暮らすという事を想像するだけで胸が熱くなる。自分にとって空気のような存在の彼と一緒に過ごすことで、何か変われるだろうか。

「期待しているわ」

 例えば、彼はこれから自分を名前で呼んでくれるだろうか。そんな夢のような未来を想像しながらコナンの髪の毛に触れ、哀は微笑んだ。



fin.


タイトルはGARNET CROWの曲から頂きました。
ご都合主義が嫌いな私ですが、歩美ちゃんが哀ちゃんを許せたのは時間の経過があったからではないかなと思います。
いちゃいちゃも書けて楽しかった!!
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
(2014.8.3~2014.8.11)