冬休みの間はこれまでにないほど穏やかな気持ちでゆっくりと過ごした。ただ頭の片隅にはいつも後ろめたさと罪悪感が残っていて、それらに襲われそうになったとき、それを悟ったコナンが哀を抱きしめた。
そして冬休み最終日。
「明日、歩美ちゃんに話そうと思う」
夕食後のいつものコーヒータイム、博士のリビングで静かにコナンはつぶやいた。
「そう」
哀は短く答え、コーヒーを啜る。
午後11時。博士はもう寝室に入っていてリビングに二人きり。その生活も以前からさほど変化がないけれど、気持ちが違うだけで時間はとても優しく流れている。
「っていうか、歩美ちゃんに後押しされたようなもんだしな」
半ば苦笑いでコナンは言う。哀は冬休み前の歩美の言動を思い出す。コナンと離れようとしていたときも、歩美はいつも気に病んでいた。時々哀のクラスに遊びに来ては、コナンの様子を話してくれた。
彼女は恋を失う覚悟で、それでも自分達を放っておかない。
「明日から学校だし、そろそろ寝ましょうか」
「そうだな」
二人はソファーを立ち上がり、触れるだけの口づけを交わす。唇を離すと、名残惜しそうにコナンは哀を抱きしめる。
「…俺ん家来る?」
何かを訴えるようなか細い声に一瞬哀の心が震えたが、
「やめとくわ」
コナンの頭を母親のように撫でながら、哀は微笑んだ。一緒にいたい気持ちはある。だけどきちんとけじめをつけなければ、心が晴れることはないことを知っていた。
始業式が終わった後の教室はどこか不安定な空気が漂う。受験生同士の談笑の中にはお互いの詮索が入っていて、本心をあらわにしないままお互いを探り合うその姿は、恋の駆け引きに少し似ている。
哀は鞄に荷物を入れてコートを羽織り、教室を出ようとドアに向かう。
「ねぇ見て! 江戸川君が灰原さん以外の女の子と一緒に帰ってる~」
窓際からクラスメイトのそんな声が聞こえて、小さく息を飲んだ。
「あー、あれ探偵団の子だよ。吉田さんじゃない?」
「結局江戸川君は何? 誰と付き合ってるの?」
女子特有の話題で盛り上がる中、哀は聞こえないふりをして教室を出て廊下を歩いた。
日本の中学校生活を経験するのは初めてだったけれど、想像以上に黒い感情が渦巻いていて、そして彼らは思った以上に大人だった。だから時々圧倒されそうになる。
「灰原?」
廊下を歩いていると、聞き慣れた声に呼ばれて哀は振りかえる。
「小嶋君…」
「よぉ、今から帰るのか?」
鞄を持った小嶋元太が軽く手を振り、きょろきょろと周りを見渡す。
「あれ、コナンは?」
「…今日は一緒じゃないわ」
なんとなく流れで二人で下駄箱まで一緒に向かうことになった。
下駄箱の前では女子の集団が黄色い声をあげて盛り上がっていて、邪魔だなと哀が顔をしかめながら靴を取りだした時、
「江戸川君が吉田さんと下校したんだって! 付き合ってるのかなー」
再びそんな声が聞こえた。さすが容姿端麗、頭脳明晰、学校でも有名なコナンのスキャンダラスな出来事はすぐに噂として広まる。
ガタン、と派手な音が鳴った。その方向に目をやれば、元太が呆然と靴を落としたまま固まっている。
「小嶋君、どうしたの?」
「灰原…」
コナンよりも背の高い元太が弱々しく哀を見た。
「知ってたか? 今日コナンの奴、歩美と一緒に帰ってるって」
「…知っていたわ」
傷ついた元太の視線から逃げるように、哀は足元に視線を落とす。
「…小嶋君。あなたに話さないといけないことがあるの」
ふらつきながら靴を履き替える元太に、哀はつぶやく。そして二人は並んで校舎を出た。
「オレも、ずっと聞きたかったことがある」
その声は今まで聞いたことのないくらい、真剣な声だった。
子供だと見くびっていたら痛い目に遭う。元太も例外ではなく、気付かないうちにずいぶん大人になっていた。