8-1

 愛した刹那な日々を捨てることに、迷いはないはずだ。


8.恋の終結(1)


 その日からコナンは阿笠邸で食事をしなくなった。

「哀ちゃん、コナン君と喧嘩してるの?」

 昼休み、哀のクラスに来た歩美が哀の机にもたれる。

「どうして?」
「だってコナン君、いつも以上に朝から不機嫌なんだもん」
「…それ、私のせい?」

 無表情で淡々と訊ねる哀に臆さないのは、今やこの学校の女子生徒の中では歩美くらいかもしれない。歩美は少し考える素振りを見せ、

「そうだと思うけどな」

 誰の影響か、容赦なく辛辣な言葉を吐く歩美に、哀は苦笑する。そんな哀を歩美は丸く大きな瞳で見つめ、私ね、と切り出した。

「昔、コナン君に振られてるんだ」

 突然の告白に、哀は口を閉ざす。歩美の言葉は続いた。

「その頃のコナン君は蘭おねえさんが好きだったんだと思う。でも今は違うし、絶対私のほうを向いてはくれないんだよ」

 自嘲気味に笑う歩美を見て、哀はその当時のことを思い出した。
 今でも覚えている。顔を合わせにくいと不貞腐れたコナンを叱咤したのは哀だ。

(吉田さんを泣かせたら許さないって)

 ちくりと身に覚えのある痛みが胸を走る。哀ちゃん、と歩美は哀を現実に引き戻した。

「だけど哀ちゃんはコナン君に必要とされているんだよ」
「…どうして?」

 先ほどと同じ疑問詞を投げると、

「そんなの女の勘で分かるよ!」

 至極真面目な顔で歩美が言うものだから、哀は思わず笑ってしまった。

(…ごめんなさい)

 きっと自分のしてきたことは裏切りの行為だ。秘密を悔む。そしてそれに甘んじてやめられなかった自分も。
 コナンと同じで、哀の作って来た人間関係もとても狭い。歩美はそんな哀を見離したりせずに正面から向き合ってくれた親友だ。



 クリスマスも近いこの時期は、寒空の下でもどこか浮足立っている。哀は身を隠すようにうつむきながら、下校する。
 今日もコナンは一人でご飯を食べるんだろうか。思わずそんなことを考え、寒さで震える唇を噛み締める。
 日常化された日々を失うと、落ち着かない。自分から手放したはずなのに、日常だったものが恋しい。
 例えば、食事した後のコーヒータイム。コナンのベッドで抱き合った後のまどろみの中。
 二人きりでいる時間に不意に見せるコナンの表情は、無邪気さに溢れていて、昔に戻ったようだった。学校のこと、サッカーのこと、最近読んだ推理小説のこと。話す内容は他愛のないことばかりだったけれど、日頃憂いを帯びた目をしているコナンの、限りなく素に近い顔を見て、哀はどこか胸を撫で下ろしていた。

(私が一番近くにいる、なんて)

 いつも勘違いしそうになる自分を、理性で抑えつけて、惑わされないと決めた。そんな汚い感情を知らないままでいたかった。

(今更戻ったって…)

 震える腕で哀を抱きしめたコナンの声。
 本当は分かっている。これは自分のエゴだ。
 それでも彼に正常な未来を還すべく突っ走って来た哀は、軌道修正の仕方が分からない。
 哀にできることは、求めてやまない温もりを諦めることだ。