4.花火は嘘に消える2
三年前の夏。
切羽詰まった哀の様子を見て、何かが起ころうとしている事をコナンは察していた。
スマートフォンの電源を切って、在来線を乗り継いだ。必要最低限のものと、自宅の金庫から取り出した現金の入ったリュックが、肩に重くのしかかっていた
重大な何かが起ころうとしている。そんな時に、そんな時だからこそ、危機感と共にコナンを支配したのは、刺激に触れる事で満たされる高揚感と好奇心だった。
何よりも、哀と二人きりになれるチャンスだと思った。
「江戸川君も浴衣を着ればよかったのに」
花火大会の翌日の午前八時、あの幻想的な空間が幻だったかのように街中は日常を取り戻していた。
泊まったラブホテルから浴衣をレンタルした呉服屋までの道のりで、下駄の音を鳴らしながら哀がそうつぶやき、コナンはふっと口元だけで笑う。背負ったリュックは昨日よりも重く感じた。
やがてたどり着いたレンタルショップでは昨日と同じ店員が出迎えてくれ、諸々の手続きをした。
「今日もご家族の方とは別行動なんですか?」
哀が更衣室で着替えている間、店員に鋭い質問を投げられ、コナンは微笑みで肯定を示した。もしかしたら家出した中学生カップルだと思われているのかもしれない。しかし証拠はどこにもなく、そして問題なくレンタル延長料金を支払ったコナンに対し、店員はそれ以上の追及をしなかった。
「昨日の花火大会は楽しんでいらっしゃったみたいですね」
着替え終えた哀と一緒にショップを出ようとした時、店員がにこやかに言った。疑問形ではなく決めつけたような物言いに、コナンは思わず振り返った。
「……もしかして、祭りのどこかで会いましたか?」
努めて冷静に訊ねたコナンに対し、店員は営業スマイルで言った。
「昨日の花火大会はこの辺りで一番大きなイベントだから、テレビ局も来ていたんですよ。ローカルニュースではあるけれど、あなた達が映っていたから、楽しんでいらっしゃるのねって微笑ましく見ていたんです」
ローカルニュース、テレビ局。
店員の話を最後まで聞けないまま、コナンは哀の手を取って店を出た。外はひどく蒸し暑いのに、Tシャツの下で浮かんだ冷たい汗が気持ち悪い。
「江戸川君、待って!」
手のひらに感じた汗はどちらのものだっただろうか。
コナン歩調がずいぶん速かったのか、哀の必死な声にコナンは我に返った。
「悪い……」
歩幅を緩めながら、哀の歩き方が不自然である事に気付く。そういえば、彼女は昨日の夜に靴擦れを起こしたのだった。それだけではない、ホテルでの出来事は哀の身体に負担をかけていないはずがないのだ。
「大丈夫か……?」
哀の様子を伺いながら、たった数時間前までに感じていた彼女の体温を思い出す。
最初からそういうつもりだったわけではない。確かに哀の存在はコナンにとって唯一無二だったが、それを告げるつもりも、無理やり繋げるつもりもなかった。
非日常の夜に生身の哀がそこに実在していると知りたかったなんて、ただの言い訳だ。
「ごめんなさい、大丈夫よ」
そう言ってコナンから手を離してスニーカーの靴ひもを結び直す哀を横目に、コナンは頭から昨夜に触れた熱を追い出そうとする。付き合っているわけでもないし、気持ちを確かめ合ったわけではない。だからと言って、ただの成り行きであったわけでもない。
そうなる事が当然だった。体温を重ね合った時、パズルのピースが当てはまるような充足感を得てようやく知った。自分がどれだけ哀を欲していたのかを。
だからこそ離れるわけにはいかない。
焦りばかりが募っていく。スマートフォンを取り出そうとコートのポケットに手を突っ込んで、そういえば電源を切っていた事を思い出し、コナンは舌打ちをした。
繁華街から駅までは徒歩圏内になく、バス移動が一般的だ。ここに来た時のようにバス停を目指そうとして、コナンは考えを変える。一刻も早くこの街を出なければならず、時間に余裕はない。
「灰原、ここからタクシーで……」
駅まで行こう、と言いかけて、コナンは言葉を失った。
コナンの手から離れて靴ひもを直していた哀の姿は、どこにもなかった。
(2023.1.7)