3-5


 三学期始業式の翌日も、コナンの姿はなかった。

「江戸川君は今日も欠席ですね」

 担任の淡々とした発言によって、教室じゅうの視線が哀を突き刺した。
 三年前の夏の出来事は、コナンと哀の駆け落ちだという噂になっている。大人達がそれを掻き消そうとしたところで、しょせん焼け石に水だ。思春期の学生にとって、男女が同時に姿を消すだなんて、最高のエンターテインメントにすぎないのだろう。

「灰原さんって、やっぱり江戸川君と付き合っているの?」

 転校初日以来、特に話をする事もなかったクラスの女子生徒が、一時間目が始まるまでの時間に近寄ってきた。空いているコナンの席に当然のように座るその姿に、小さな苛立ちが沸いた。

「付き合っていないわよ」
「えー、でも、二人で初詣に行っていなかった?」

 そういえば彼女がよくコナンに話しかけていた事を思い出した。リボンの髪留めが彼女の自信を引き立てている。
 その一声によって、さらに周りの視線が強くなる。

「オレ、二人が米花町の図書館にいるのも見たぞ」
「やっぱり付き合ってるんじゃん」
「隠さなくたっていいじゃない」

 コナンの席で足を組み変えたクラスメイトを視界から消そうと、哀がうつむきかけた時、

「あの……!」

 窓際の後ろ側から、聞き慣れない大声が響いた。

「一時間目、休み明けテストがありますよね……」

 普段は教室の端で小説を読んでばかりいる光彦の大声に、教室はしんと静まり返り、気まずさと小さな嘲笑だけが残った。やがてチャイムが鳴り響き、一時間目の英語リーディングの教師が入って来る。
 哀がちらりと背後に視線を向け、ありがとう、と唇を動かすと、光彦は肩をすくめた。呆れを含んだ表情だった。



「冬休みはずいぶん楽しく過ごされたみたいですね」

 昼休み、屋上に繋がる階段で弁当箱を広げていると、光彦がゆっくりと階段を上がってきた。含みのある声色に、哀は口に入れていた卵焼きをゆっくりと咀嚼する。

「……小言なら受け付けたくないわ」
「そんな、心が狭い男のような真似を僕はしませんよ」

 冬の階段の踊り場は寒い。屋上に繋がる「出入り禁止」が貼られた扉からは隙間風が容赦なく差し込んできて、哀は首に巻いたマフラーに口元をうずめた。

「灰原さん、いつも昼休みにいなくなるなって思ってたら、こんな場所で過ごしていたんですね」
「きちんとルールを守るつもりだったのよ」

 ルール、という単語に、光彦のそばかすがかった頬がぴくりと動いた。
 江戸川コナンは灰原哀に関する事項の記憶がない。それを理由に、観察を兼ねて哀は帰国した。必要以上の接触はしないという条件付きで、だ。
 だから、転校をして同じクラスになった事に驚いたし、隣の席になる事なんて想定外だったのだ。

「僕は、灰原さんのルールに乗っ取っていますか?」

 段差を利用して、哀の隣に腰かけた光彦が訊ねる。

「それはどうかしら。そもそも真実に近い場所に第三者が介入している時点で、ルール違反だわ」
「それは僕の責任ではありませんよ」

 転校初日から、コナンとは別の意味で光彦の視線は厳しかった。

 ――円谷君は、どんなお話を聞いているの?
 ――灰原さんとコナン君が、駆け落ちをしたという話です

 模範解答を述べた光彦に対して、哀は思わず噓つきだと笑った。周囲に同調するように生きる光彦の術は、誰にでも真似できるものではない。だからこそ、クラスメイト達がコナンと哀に対して不穏な空気を見せた時に大声で阻止する行為は、光彦にとって相当の勇気と覚悟が必要だったのだろう。
 その数日後、光彦はひとつの真実を掴んでいた。三年前の夏、コナンと哀が訪れた地方都市、その浴衣のレンタルショップのレシートをコナンに見せられたという。それはつまり、コナンも真実に近づいている事と同義だった。

「灰原さん」

 膝の上で両手指を組んだ体勢で、光彦は言う。

「コナン君は、記憶とは別の部分で灰原さんに惹かれているんじゃないでしょうか」

 少女の喜びそうな運命論を語り出しそうな光彦に、哀は思わず苦笑した。

「そんなはずない。記憶にない部分の私との関係を探っているだけだわ」
「そうでしょうか……」

 高校生になってから再会して、光彦の雰囲気は少し変わったように思っていたが、こうして瞳を伏せている光彦の横顔は、子供の頃を哀に思い出させる。
 三年前の夏、哀がコナンと共に地方都市に逃げた理由も、その後に起こった事故も、哀が海外で過ごした日々も、何も知らないはずの光彦にすべてを委ねたくなる。きっと、コナンを除けば彼が一番真実に近づいている人物だ。

「灰原さんに、まだ話していない事実があります」

 ゆっくりと顔をあげた光彦が、哀を見た。哀は巾着に入れた弁当箱を両手でぎゅっと持った。

「コナン君には、工藤新一だった時の記憶もないようです」



(2023.1.3)

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