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 年末に近付くにつれて世間は慌ただしくなり、哀は博士と一緒に大掃除をしていた。
 大晦日である今日は快晴だ。吸い込まれそうなほどの青色が気持ちよく、阿笠邸の玄関前を箒で履いていると、物音が聞こえた気がした。大きな家が立ち並ぶ閑静な住宅街、哀が手を止めて音の方角に顔を向けると、そこにはコナンが立っていた。

「よう」

 ラフなダウンジャケットにマフラーを巻いた格好のコナンが、ポケットに突っ込んでいた右手をあげた。

「大掃除か? 大晦日だもんな」
「ええ……」

 哀が転校をした約二か月前でこそ警戒心を持って哀を探っていたかのように見えたコナンが、まるで旧友であるかのようなそぶりを見せるので、哀は面食らってしまう。

「江戸川君は、今からどこかに出かけるの?」
「いや、コンビニに行くだけ」

 中学生の頃までは居候先だった毛利探偵事務所で暮らしていたコナンが、工藤邸で暮らしているという事は知っていた。ただし、それを実際に目の当たりにする事で、失われた時間が大きくのしかかる。

「灰原が博士の家に住んでいるって、本当だったんだな」

 自分とは別の意味で事実を受け止めているような表情を浮かべたコナンが、阿笠邸を見上げた。空から降る日の光が、コナンの眼鏡のレンズに反射する。
 図書館で偶然出会った日も、駅前のファストフードでランチをした日も、帰るときは別々だった。だから、近所でコナンに出会うのは初めての事だったのだ。
 冬晴れの空の下で、乾いた空気が舞っていく。どの家も慌ただしいのか、どこかから布団を叩く音が響いた。

「江戸川君」

 箒の取手の感触を手のひらに感じながら、マフラーの巻かれたコナンの首元を見ていると、思わず言葉が飛び出した。

「今夜も一人で過ごすの?」

 一年の区切りを示す、世間がいちばん賑やかになる瞬間をコナンが一人きりで過ごすのかと思うと、胸の中がざわざわと落ち着かなくなる。
 必要以上に近づいてはならないと頭では分かっているのに。

「おまえは?」

 質問を質問で返され、哀は口をつぐんだ。コナンは興味深そうにレンズの奥にある瞳を細め、得意げに笑った。

「じゃあ、年越しまでに博士が眠ったら、一緒に初詣に行かないか?」

 まるで博士の動向などお見通しのように言い放ったコナンは、哀の返事を聞く事もなく「じゃあな」と背を向けて歩いていった。



「博士は、どういう年越しをする予定?」

 年末は何かと落ち着かない気持ちにさせられるのに、大晦日の夜が気配が強くなるにつれてまったりとした空気が流れる気がする。

「なんじゃ、哀君は友達とでも予定があるのかね?」
「……そういうわけではないんだけど」

 今年最後の夕食は寄せ鍋にしようと言い出したのは博士だった。電気コンロに鍋を置いた博士が、きょとんとした顔で哀を見た。思わず答えを濁しながらも、哀は先ほどのコナンとの会話が頭から離れないでいる。

「ワシの事は気にせずに、好きなように過ごすといい。ただ夜道には気を付けるんじゃぞ」

 哀の事情で米花町を離れ、そして哀の我儘によって再び阿笠邸で暮らし始めた哀に対して、博士はどこまでも優しい。
 生野菜を盛り付けたトレイをテーブルに運んでいると、リビングで付いていたテレビの音声がクリアになった。

『さて、次の話題です』

 騒がしいバラエティー番組が乱立するなかで、阿笠邸ではニュース番組や情報番組が流れている事が多く、大晦日も例外ではない。

『高校生探偵として世に貢献した工藤新一さんが失踪して十年が経ちました。今もなお、工藤さんの残した功績を』

 女性アナウンサーが物々しい表情で原稿を読み上げているのをぼんやり眺めていると、ふいに音声と画面が途切れた。博士がリモコンでテレビを切ったのだ。

「哀君、鍋が沸騰しておる。そろそろ肉を入れてもいいかの」

 何事もなかったように博士が蓋を開けると、湯気とともに出汁のいい香りが上がってきた。
 滑らかに連なっていたものが突然遮断される瞬間は、世間の在り方によく似ていた。思いがけない事件、避けられない天災に、有名人の失踪。

「ほれ哀君、取り分けるぞい」

 手を差し出した博士に、哀は甘えて取り皿を渡す。テレビが消えた事で、鍋のぐつぐつと煮える音が響いた。



(2022.12.28)

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