一時間目の休憩が終わった後、クラスの中でも華やかで話し上手なクラスメイト達が哀の席の周りを囲んだ。
「灰原さんだっけ? どこから来たのー?」
「すっごい美人、お肌綺麗ー、何か特別な手入れしてる?」
「というか、灰原さんって途中まで帝丹中にいたよな?」
自分と同じ帝丹小学校、中学校と歩んできたクラスメイトの男子が訝しげに声をあげ、途端に教室内の空気が変わった。
「え、そうなの?」
はしゃいでいた女子が声色を変えて控えめに哀に訊ねると、肩までの茶髪を耳にかけた哀が「そうよ」と短く肯定した。
「家の事情で、しばらく海外にいたの」
その一言で何かを察したをしたクラスメイト達は、それ以上深掘りはせず、テレビのアイドルの話題に方向転換していき、不穏さはすぐに収束した。
輪のすぐ隣の席にいるコナンは、興味なさそうにスマートフォンをいじっている。光彦が窓際の最後方の席から、ただそれらの光景を眺めていると、
「そういえば、灰原さんと江戸川が付き合っているって噂、あったよな?」
先ほどの男子が悪びれもなく言い放ち、途端に周囲の空気が色めきだった。
「えー、そうなの?」
「ていうか、席が隣じゃん!」
「今も付き合っていたりして」
コナンは冤罪を振りかけられた人間のように瞬きを繰り返し、クラスメイト達の言葉の意味をようやく飲み込んだのか眉をひそめた。
「あ、あの!」
コナンが何かを言い返そうとするよりも前に、光彦は思わず立ち上がって大声を出していた。心臓が嫌な音を立て、手先が冷たくなっていく感覚を受けながら、好奇心に満ちた視線を浴びた光彦は、震える唇を必死に動かした。
「今日の英語の授業で、小テストがあったと思うんですけれど……」
普段は気配を消して本ばかり読んでいる光彦の大声を初めて聞いたからか、クラスメイト達は光彦を一瞥した後、冷笑を浮かべた。
「いやいや、小テストなんて誰も真面目にやってねーって」
「いまさらいまさら」
どっと笑いが起き、やがてチャイムと同時に物理教師が教室内に入ってきた事によって、固まっていた集団が解けていくようにそれぞれの席におさまった。
窓の外にある太陽の位置が少しずつ高くなっていく。英語の授業は午後の時間にあり、光彦の的外れな発言はクラスに嘲笑を与えただけだった。
しかし、物理学教師が黒板に力学的エネルギーの法則を書き出している最中、コナンはそっと光彦に振り返り、小さく口を動かした。
サンキュ、と聞こえた。
◇
最後に警察に呼ばれたのは、中学二年生の秋の終わりだった。
少年探偵団として仲のよかった元太と歩美と一緒に、慣れた足取りで向かった警視庁。通された部屋には、江戸川コナンが座っていた。
――コナン君!
歓喜の涙声をあげたのは歩美だった。無理もない。
中学二年生の夏休み、江戸川コナンは姿を消した。それも、一人でではなく。
――コナン君、
長机に沿ってパイプ椅子が並べられているだけの無機質な部屋で、光彦は一歩踏み出し、コナンに詰め寄った。
――灰原さんは、どうしたんですか?
姿を消したのは、付き合っているという噂のあったコナンと哀だった。それも、同時に。
当時の教師達は、二人の不在を「ご家族の都合で」としか説明せず、何事もなかったかのように二人の机は片付けられていた。それでも、少年探偵団の間では陰謀めいた何かを感じ取っていた。
昔から、二人の間に流れる空気は光彦達のものとは違っていたから。
光彦の問いに、見慣れない薄手のコートを羽織ったコナンはぼんやりと顔をあげただけで、表情を動かさない。
――どうして黙ったままなんですか!
苛立つままに声をあげた光彦に対して、親しい刑事がたしなめるような表情で光彦の方に手を置いた。
警視庁内は騒々しく機能しているはずなのに、ここはまるで現実とは切り離されたような空間で、息が詰まりそうだった。
そしてその後、光彦達は信じがたい事実を突きつけられたのだ。
(2022.11.3)