1.失われた真実
ふいに、テレビ画面の向こうの雰囲気が変わった。
『次の特集です』
夕方の報道番組は、あらゆる話題を運んでくる。政治のニュース、芸能エンタメ特集に、地方の動物園の話題。帰宅部である円谷光彦はテレビに映るそれらを横目に眺めながら夕方を過ごすのが日課になっているが、今日はなぜか、アナウンサーの声色によって解きかけたネクタイの手が止まった。
画面に映し出されたテロップを見た瞬間、どきりと胸の奥が嫌な音を立てる。
――工藤新一さん、失踪から10年
十年前に活躍した高校生探偵の特集だった。テロップの向こうには光彦の通っている高校の制服を着た、かの名探偵の姿が映っている。
光彦の同級生で十年来の親友でもある江戸川コナンと、どこか似た面影を感じるのも無理はない。工藤新一はコナンの親戚だとも言われていた。
テレビに映っている新一の自信のみなぎる表情に対して居心地の悪さを覚えた光彦は、リモコンを持ってテレビを消す。しんとした部屋には窓の外からの子供の声が響いてきた。近所に住む小学生だろうか。無邪気な声は懐かしさを誘う。思わず本棚にあるアルバムに手を伸ばしかけて、やめた。
ひとりで思い出を辿るという行為は、あまりにも物事を主観に捕らえてしまう危険性をはらんでいる。
翌日の朝、帝丹高校の正門前で自分と同じ制服を着た江戸川コナンに出会った。
「コナン君、おはようございます」
光彦の声に「……はよ」と返したコナンは欠伸を噛み殺している。
「昨日の夜は遅かったんですか?」
「あー……、なんか夢見が悪くて」
学校指定の鞄を肩にかけて歩くコナンはどこか気だるそうで、そのアンバランスさは健全をそのまま形にしたような工藤新一にはないものだと思った。
昨日のテレビに映っていたかの高校生探偵の姿を思い浮かべる。ある時期を境に、コナンは遠い親戚の話をしなくなった。事件と関わらなくなった。そして、刺激に溢れていた幼い頃の時間についても語らなくなった。
正門の前にある樹木の枯れかけた葉を、秋風がさらさらと鳴らす。
高校の正面玄関で靴を履き替え、光彦は同じクラスでもあるコナンと並んでとりとめのない話をしながら廊下を歩く。試験のない時期の教室内では、朝からエネルギーがみなぎっている。
「おっす、おはよー。江戸川」
教室の隅で本を読んで過ごしているような光彦とは違い、コナンには活発な友人が多い。おしゃれな髪型をした男子グループ達に声をかけられたコナンは、光彦に対するものと同じような抑揚のない挨拶を返している。
「なーなー江戸川、聞いたか?」
「何だよ」
「このクラスに転校生が来るって」
「転校生?」
少々浮き足立っている周囲に反して眉根を寄せただけのコナンをよそに、クラスメイト達は盛り上がっているようだった。
女の子かな、美人だったらいいな、そもそも高校にもなって転校って曰く付きかな、美人だったらなんでもいーよ、エトセトラ、エトセトラ。
陳腐な希望に溢れた男子高校生の会話に薄く笑っただけのコナンは、鞄から一時間目の教科書を取り出している。窓際一番後ろという特等席の光彦には、図書館で借りた小説本を読みながらその様子を伺うことしかできない。
転校生、という響きに、懐かしさを覚えた。小学一年生の頃、長期休み明けでも何でもない中途半端な時期に立て続けにやってきた転校生達は、光彦の人生を変えたのだ。
「おまえら席につけー、転校生を紹介するぞー」
ジャージ姿の担任が教壇に立ち、それに続くように前方のドアからブレザーとプリーツスカートという帝丹高校の制服を着た女子が、ゆっくりと黒板の前に立った。
男子達の噂話は本当だったらしい。光彦はゆっくりと文庫本を閉じる。背筋を伸ばして教室内を見渡した彼女の姿を見て、顔をあげた光彦は息を飲んだ。
「灰原哀です」
彼女はそれだけ言って、担任の指示も待たずに教室内を歩き出す。クラスメイト達は拍手や冷やかしの声をあげる間もなく、その様子をただ呆然と見守っていた。
既視感が視界を支配する。机と机の間の狭さなど物ともせず、一定の歩幅で進んだ彼女はやがて空いた席に鞄を置いた。そこは、コナンの隣の席だった。
「よろしく」
哀が言うと、これまで他人事のようにその光景を眺めていたコナンが初めて焦点を合わせたように哀を見上げ、「ああ……」と感情の伴っていない声でつぶやいた。
(2022.11.2)