プロローグ


 隣から聞こえてくる規則正しい寝息を一瞬たりとも聞き逃さないように、灰原哀はシーツの中で息を潜めていた。
 窓一つないホテルの一室は、外の世界から遮断された唯一の安全圏のようだ。
 今朝からの長い時間、電車に揺られた後に人混みを歩いた事で身体は疲労を覚えているはずなのに、心はずっと高ぶっている。哀は横向きの体制のまま、仰向けで眠っている江戸川コナンの横顔を眺めた。
 自分達の住む東京から遠い離れた地方都市に、逃げるようにやってきた。痕跡を残さないためにスマートフォンの電源さえ入れていない状態で、まさにここは二人だけの世界のようで、こんな時なのに心がくすぐったい。
 音を立てないように小さく呼吸を繰り返していると、ふとコナンの寝息のリズムが崩れた。

「はいばら……?」

 かすれた声が普段よりも幼く響いた。眼鏡のレンズを介さないコナンの瞳は、例え寝ぼけまなこのさなかにあっても澄んでいる。

「寝ないのか……?」

 一般的な十四歳に比べたらおそらく日に焼けていないであろうコナンの肩がシーツからはみ出したのが見えて、哀は目を逸らしながら曖昧に返事をした。途端に温もりに包まれる。コナンの体温が直に触れて、つい先ほどに放った甘い熱を思い出す。
 まどろみのような時間は一瞬にして過ぎ去ってしまうものだ。でも、あと少しだけ。もう少しだけ。
 哀を抱き込んで再び寝息を立て始めたコナンの肩越しに、ラッピングを剥がされるように脱がされた浴衣が見えた。火が再び灯されないように、哀はゆっくり瞳を閉じる。瞼の裏には、色鮮やかに舞う花火が映った。



(2022.11.1)

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