湾岸highway

 運転席から見る外の景色にも青空が広がっていてそこから太陽の光が差し込み、新一は目を細めた。隣に視線を移せば、志保が静かに流れる景色をぼんやりと見つめている。
 今日は久しぶりの二人揃っての休日で、新一から志保を外に誘い出したのだ。

「…車」
「え?」

 それまで黙っていた志保がぽつりとつぶやいたので、新一は慌てて訊き返す。

「何だ?」
「車、多いわね」
「あ、ああ。そうだな。日曜日だし」

 ハンドルを握る手が妙に緊張して汗ばんでしまう。付き合い始めて二カ月、以前から二人で飲みに行くような事はあっても、昼間から出かけるような所謂デートというものをするのはこれが初めてなのだ。
 だからと言って、どこに誘えばいいのか新一はよく分からなかった。学生の頃とは違うしそもそも彼女のキャラから考えてテーマパークに行ったところで二人して白けてしまいそうだし、大体新一と志保の趣味はまったく別のベクトルを向いているのだ。
 それでも新一はこうして理由いらずで志保と過ごせる休日を嬉しく思う。そしてインドア派の彼女を無理やり外に連れ出したのには訳があるのだ。




 一緒に夜を過ごすようになって気付いたことがある。
 志保は時々、呼吸をするのも苦しそうにうなされる。そのたびに新一は目を覚まし、言葉にならない寝言を苦しそうに吐き出す志保の名前を呼び、肩を叩く。すると志保はぼんやりと目を開け、新一の存在をその瞳で確認するとわずかに安堵したような表情を見せ、彼女にしては珍しく素直に自分から抱きついてくる。時にはその瞳が涙で濡れていることも少なくない。
 それでもまだ何かに怯えるようにぎゅっと身体を縮めて小さく震える彼女を、新一は子供をあやすように背中を軽く叩いて抱きしめ返し、再び襲ってくる何かに耐えるように目を閉じて息をひそめる彼女と共に時間が過ぎるのを待つ。
 時々こうして悪夢に襲われている志保を見て、これは最近になって始まったことではないとすぐに分かった。これまで何度も彼女はこうしてうなされ、一人で夜を過ごしてきたのだと思うと、新一自身胸が締め付けられた。もっと早く彼女の傍にいてやるべきだったと後悔の念が押し寄せる。
 彼女の悪夢については大体の見当がつく。だから新一は何も言わないまま、ひたすら志保の頭を撫でながら、彼女がもう一度眠りにつくのを待つしかない。
 昨日の夜もそうだった。
 だから今朝、目を覚まして罰が悪そうな顔をする志保に「どこかへ行こう」とその柔らかくてシャンプーの香りが漂う髪の毛に指をからませながら、提案したのだ。




 海辺にある小さな公園に着き、新一は車を停めた。

「ここで降りよう」
「…ここで?」

 時間は午後3時。西に傾きかけた太陽が、怪訝に周囲を見渡す志保を照らす。
 少し歩けば芝生が広がっていて。そこには寝転がって日光浴をしているカップルや家族でバトミントンを楽しんでいる姿が見られた。その向こう側には東京湾。空の色が水面に反射して、同じ青色が広がっていて眩しい。

「綺麗ね…」

 つぶやいて志保は新一の裾を掴んだ。春が近付いていると言えどまだまだ寒い。新一はその手を自分の手で掴む。ひんやりとした体温が逆に心地よく感じる。

「東京にも海はあるんだよ」
「そうね」

 小さく笑う志保を見て、新一は胸を撫で下ろした。



 志保に想いを寄せたのがいつだったのか、新一には思い出せない。
 もしかしたら江戸川コナンとして過ごした日々から既にそれは根付いていたようにも思うし、再会してからじんわりと沁み込むように浸食されたような気もする。
 二人でいる時間は疲弊の重なる世間から切り離されたように静かなものだった。そして自分を偽る必要がなく、自分の全てを受け入れられる喜びは、肉親にすら感じた事のないほど温かかった。
 ただその感情を受け入れられるようになった時には志保の事をもっとよく知りたいと思ったし、知れば知るほど彼女を彩る世界に嫉妬すら覚えた。これまで組織の中でしか生きられなかった彼女が自分の能力を持って社会と調和している姿は確かに誇らしいのに、例えば自分以外の男と話す姿を見ると、その身を奪いたい衝動に駆られる。志保のことは大事にしたくて見守りたくて一定の距離を置いていたが、自分の存在を誇示しようとしたことや、仕事でアメリカに渡るときに彼女の存在が頭をかすめたこともあって、その距離感では彼女を守れないのだと悟った。
 世の中のシステムに踊らされているのかもしれない。それでも法も認めるやり方で一緒に過ごす事が、志保の傍にいられる最善策だと思えた。罪に縛られた彼女を守るための、一番効率的な方法。



 目の前に広がる海には時々鳥たちが降り立っている。ぼんやりとその光景を眺めていれば、何かが浄化していく錯覚さえ持ってしまう。後ろを振り返れば木々の向こう側に相変わらずの高層ビルが立ちはだかっているのに、東京は何とも不思議な場所だ。

「志保」
「なに?」
「いくつか式場の資料を集めたんだ。っていうか、母親がさ。いくつか見て、次の休みには見学に行こう」

 それを言うのに少しだけ緊張してしまった。上ずった声で新一が言うと、志保は思いがけない事を言われたかのように目を丸くした。

「…式場?」
「あ、ああ。何かまずいか?」

 一応婚約をした身だし、博士には挨拶も済ませているし新一の両親にもそれについては伝え済みだというのに、志保の驚愕ぶりに新一は焦った。もしや結婚自体をまだ受け入れられてないのだろうか。それとも、宗教的な問題でも発生したのだろうか。

「…式をあげるつもりなの?」
「何か問題があるか?」
「そうじゃなくて…」

 志保は動揺を隠すように新一から離れ、つないでいた手を離して、その手で頬にかかる髪の毛を耳にかけた。

「…私にはそんな資格ないわ」
「何言ってるんだよ」

 この期に及んで彼女はまだ罪に縛られる。

「こじんまりでいい。ホームパーティーみたいにさ。博士に晴れ姿を見せてやろうぜ」

 付き合い始めたばかりの頃に結婚を報告した時、博士は泣いたのだ。志保の幸せは博士の幸せにつながるのだと思った。それほどに二人の信頼関係は深い。
 志保のウエディングドレス姿はとても綺麗だろう。
 微笑む新一を見た志保はもう一度新一の手を取り、ぎゅっと握りしめた。

「…ありがとう」

 その言葉は海からやって来る冷たい潮風に溶けるように、優しく新一の耳に響いた。



タイトルは湘南乃風の曲から頂きました。
(2014.11.17)