3-2

 阿笠邸から戻り、コナンはスマートフォンで歩美に電話をかけた。

『もしもし、おはようコナン君。二日酔いになってない?』
「…俺、昨日そんなに酔ってたか?」
『コナン君にしては酔ってたと思うよー。光彦君達も心配していたもん。哀ちゃんとお話できた?』

 コナンは仕事用のタブレットを開きながら、オハナシ、と復唱する。
 今更、哀と話す事なんて何もないはずだった。だけど酔っていた自分は歩美に後押しされるように哀と二人きりにさせられ、そのあと、自分は一体どんな言葉を口にしたのだろう。彼女を傷つけるような事を言っていないだろうか。自分の中には人に見せられない感情が渦巻いているけれど、それを哀本人に見せられるほど、自分自身もタフではないし、彼女に傷ついて欲しいわけではない。

「俺あまり覚えていなくて。あいつちゃんと家に帰れたのかな?」
『ああ、それは大丈夫みたい。昨日の夜哀ちゃんからメールあったから』

 歩美の言葉にほっとする。あんな夜更けに彼女に何かあったら、それこそコナンは後悔に押し潰されただろう。

「そっか、よかった。とにかく、あいつに礼を伝えておいてよ」
『えー? そんなの自分で言えばいいじゃん』
「………」

 昔から変わらない歩美の可愛らしい声に、コナンはため息をつく。それができれば苦労しない。そもそも哀の連絡先を知らないし、知りたいとも思わない。
 歩美には適当に言葉を濁し、コナンは電話を切った。



 約束の時間に毛利探偵事務所へと足を運んだ。一人で請け負うのが難しい仕事は、小五郎と一緒に仕事を受ける事も少なくない。昔からの顔馴染みという事もあり、小五郎との行動は気を使わず、いつも神経を張り巡らせているコナンにとっては安息の時間でもあった。

「おじさん、こんにちは」

 昔から変わらないドアを開けると、小五郎は資料片手にテレビに夢中になっていた。相変わらずの景色に、コナンは苦笑する。

「競馬、どう? 勝ちそう?」
「いや…、今回も負けるかな…」

 コナンも身を乗り出すようにして、小五郎の机に置かれているテレビを覗きこむ。その横には今回引き受けている案件の資料が数多く置いてあり、コナンはそれを手に取った。

「資料、よくこんなに集められたね。ありがとう、おじさん」
「それよりおまえ、顔色悪いけど。体調でも悪いのか?」

 めざとく寄越される視線に、コナンは肩をすくめた。

「ううん。ただの二日酔い」
「…おまえでもそんな事あるんだなぁ」
「昨日は元太達と飲んでたんだ。…灰原もいたけど」

 コナンの言葉に、小五郎は今度こそ競馬などどうでもいいように、じっとコナンを見た。

「大丈夫なのか?」

 眉根に皺を寄せた小五郎に、コナンは笑う。

「別に。たいしたことないよ」
「オメーがそうやって何でもないように笑っている時ほど、大丈夫じゃねーんだ」

 壁一面の窓から見える冬の空は澄んでいて、日差しが柔らかい。

「ひどいな、おじさん。誘導尋問かよ」
「俺はおまえを見てきたからな」

 小五郎の言う通りだった。哀が姿を消した時も、哀と再会した時も、小五郎はすぐ近くでコナンを見ていた。だからコナンは小五郎に恩を忘れていない。



 三か月前、毛利探偵事務所の上の階にある毛利家で、哀に再会した。不意打ちだった。
 哀、と呼びかけた名前を慌てて引っ込めた。彼女を名前で呼ぶのは二人きりの時だけで、そしてそれは恋人である証のように思っていた。もう彼女を名前で呼ぶ事はできない。
 変わらない眼差しに眩暈がして、彼女の存在を頭の中で打ち消した。その場にいた蘭とその娘である桜と適当に会話をしたが、内容など何も覚えていない。
 頼まれていた小五郎のジャケットだけ手に持ち、逃げ出すように階段を駆け降りた。
 ビルの前に停めていた車に乗り込み、運転席にいる小五郎にまくし立てた。哀が東京に帰って来た事、どうしてここにいたのか、なぜ蘭に会っていたのか――。小五郎に訊ねたところで答えが分かるわけがないのに、それでも言葉にしないと気が狂いそうだった。