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 その姿は中学生の頃の面影を一ミリも残していなかった。一目で分かる高級なスーツに趣味のいいネクタイ、手首の裾から見えるブランド時計、トレードマークである形のよい眼鏡。レンズの向こうにある瞳が哀を見つめて驚愕をあらわにしていたが、すぐさま逸らされた。

「コナンお兄ちゃん!」

 哀の隣に座っていた桜が、立ち上がって飛び付く勢いでコナンに駆け寄る。

「おー桜! 久しぶりだなー。また背伸びたか?」
「のびたよー。もう桜、六さいだし」
「そうか。でもまだまだ伸びるぞー」
「ほんとう? コナンお兄ちゃんくらいたかくなれる?」
「うーん…。俺としてはせめておまえのママくらいで止まって欲しいな」

 しゃがんで桜に目線を合わせてあどけなく笑うコナンの表情は、メディアで見るものよりもぐっと幼くなる。その様子をただ眺めている哀の身体は、絨毯に縫いつけられたかのように動かない。

「それよりコナン君、どうしたの? うちの鍵なんか持って」
「ああ、これから依頼元に行くから下に停めた車で小五郎おじさんが待ってるんだけど、ジャケットを忘れたって言ってさ。いくらクールビズでも、もう九月も終わるし、さすがになー」

 小五郎から預かってきた鍵を音立てて見せながらそう言い、コナンは哀の目の前のテーブルの横を通り過ぎて小五郎の部屋に入っていき、すぐに見つけたのかジャケットを持って再びリビングに顔を見せた。

「コナン君、いつもありがとうね。お父さんがお世話になっているみたいで」
「何言ってんだよ。俺のほうこそ」

 屈託なく笑ったコナンは、蘭と桜に手を振り、リビングから出て行った。ドアの音が無機質に響いた。哀と目が合ったのは最初の一瞬で、それ以降はもう哀の存在などないかのように扱われた。確かに彼は哀を見て、哀を認識したはずなのに。哀のすぐ傍を通った時さえ、哀はまるで透明人間だった。

「あの、哀ちゃん…。騒がしくてごめんね。さっき言おうと思ったんだけど、実は哀ちゃんがイギリスに行った後、私、コナン君と久しぶりに会って…」

 蘭の言い訳のような言葉すら耳を通っては流れていく。手の平で汗を握った。
 哀はコナンに恨まれているのだ。当然だった。

「あいちゃん、だいじょうぶ?」

 哀の元へと戻った桜が子供なりに哀の表情を読み取ったのか、上目遣いで心配そうに訊ねた。キッチンの傍では蘭も後悔したような目をしている。まさかこの毛利家に突然江戸川コナンが現れるなんて誰も予想だにしていないのだから、蘭が悪いわけではない。

「…ごめんなさい、大丈夫よ」

 二人への返事としてそうつぶやき、震える手で桜の頭を撫でた。桜が安心したようににっこりと笑い、哀の膝の上に座る。哀の視線の先にはポニーテールでまとめられた柔らかそうな髪の毛が揺れて、膝にかかるわずかな体重に命と温かさを感じた。



 出向した先は治験関係の会社だった。
 これまで私服に白衣を着ていた仕事だったのが、今はスーツを着てヒールを履いて、医療関係者や被験者に非臨床試験を通過したい薬について説明をする。スケジュールは全て相手次第で、忙しさは日によってまちまちだった。
 気付けば季節はすっかり秋を越えて、もうすぐ冬がやってくる。その日も担当している医療機関から帰社し、書類作成に追われ、会社を出たのは夜九時を過ぎていた。
 ビルを出ると冷たい風が頬を刺す。トレンチコートとマフラーではもうこの寒さを凌げない。冬物のコートを早く出さなければと考えながらヒールのあるパンプスで社宅に向かって歩いていると、近くのカフェのテラス席に一つの影があった。この寒い夜にテラス席に座るなんて物好きだな、と何気なくその人物に視線を送ると、目が合った。
 ヒールの音がやんだ。哀が足を止めたからだ。

「よぉ、今帰りか?」

 今日はあの日のようなスーツ姿ではなく、革のジャケットにデニムを合わせたカジュアルな姿が椅子から立ち上がった。

「……江戸川君」

 唇が震えたのは、決して寒さのせいではなかった。