1.デュエットのような人生
何度経験しても、この瞬間に慣れる事はない。
「江戸川先輩、好きです」
裏門に近い校舎裏に名前も知らない女子生徒から呼び出された時から、何を言われるかくらい見当がついていた。コナンは目の前に立つ女子の様子を眺める。
校則違反にならない程度のリボンが地味な黒髪を飾っている。夏服のセーラー服の襟が震えているのは、俯いた彼女が今にも泣きそうになっているからだ。
「悪いけど、俺…」
「知ってます。江戸川先輩が灰原先輩と付き合っている事は、知っています。でもどうしても伝えたくて、あたし…」
ひざ丈のプリーツスカートをぎゅっと握りながら、彼女はその様子に反して強い口調でコナンの言葉を遮った。
「あたし、どうしても江戸川先輩が好きで…、この気持ちはどうしたらいいんですか」
「………」
大人しそうな彼女からの燃えるような炎は、コナンにとって少し恐怖だ。愛情の反対は憎悪、とはよくいったものだ。人間の感情が渦巻きそこに歪みが生じた時に起こる惨事を、コナンは何度も目の当たりにしてきたのだ。
「……すみません」
何も答えられないコナンに対し、彼女は唇を噛み締めるようにしてつぶやき、会釈をした後でパタパタと走って行った。リボンで結ばれた黒髪が揺れていた。彼女の後姿を見送った後、コナンは校舎に寄りかかって顔をあげた。
夏の終わりを知らせようとする空は今日も青く澄んでいる。チャイムが響き、コナンはゆっくりと彼女が走って行った道筋を辿り、校舎の中へと入った。
教室に戻ると、既に授業が始まっていた。江戸川遅いぞ、と叱咤する教師の向こう側で、クラスメイトの悪友らがニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべている。教師に適当に謝罪をし、机に戻ると、後ろの席の岡田がコナンの肩を突いた。
「なーなー、また告白されたんだろ?」
「うっせーな。授業中だぞ」
「まぁおまえには灰原さんがいるしなぁ。それを分かってて、なんでみんな告白できるかねぇ」
小声でつぶやきながら面白がってペンを指先で回すクラスメイトを一瞥した後、コナンは教科書を開いてため息をつく。恋だの愛だの、所詮は人間のエゴだと思う。一言では片付けられない感情を片付けられる便利な代物だ。
空調の効いていない教室内は空気が籠もっていて息苦しい。授業内容が頭に入って来ないのは、遥か昔にも同じ授業を受けた事があるからだろうか。それでも中学生の輪からはみ出さないように、コナンはぼんやりと黒板を眺めた。
その日はスマートフォンに連絡が入る事もなく、コナンはチャイムが鳴ると同時に鞄を抱えて教室を出た。悪友からの好奇心に答えられる余裕はなかった。
急ぎ足で灰原哀がいる教室に向かう。彼女のクラスも終礼が終わったようで、教室からぞろぞろと同じ制服を来た生徒達が沸き出す。
「江戸川君」
子供っぽい数々の声が響く廊下の中で、哀の声が特別にコナンの鼓膜を穏やかに揺らす。学校指定の鞄を持って教室から出てきた哀が、セーラー襟までの長さの茶髪を揺らし、コナンを見つけて微笑んだ。
「どうしたの?」
「ん…、一緒に帰ろうかなって」
「別にいいけど、今日は警察からの呼び出しはないの?」
皮肉を込めたその物言いも許せてしまうくらい、コナンは彼女の声にほっと息をつく。ここが学校の中ではなければきっと抱きしめていた。