それからコナンがシャワーを浴びて着替え、そして玄関のドアを開けて階段を降りるのを、元太も歩幅を合わせてゆっくりと歩いた。
「もう雨は止んでたんだな…」
知らなかった、と眼鏡をかけたコナンは眩しそうに空を仰いだ。その横顔はどこにでもいる十五歳の少年なのに、美しく思った。人は大きな何かを失うと強くなるのだとテレビか何かで言っていたが、それは本当のようだ。
他愛のない話をしながら、二人で米花町を歩いた。この街に生まれて十五年、その景色は変わらないようで少しずつ変わっている。新しい道路もできているし、幼稚園に通っていた頃に遊んでいた空き地にも一軒家が建っている。
コナンはポケットからスマートフォンを取り出し、画面を見て薄く笑った。
「警察の人達にも迷惑かけちまったな……。連絡くれても、俺は答えられなかった」
きっとコナンは警察からの連絡が入るたびに軽く絶望を覚えたのだろう。本当に欲しい連絡はそれじゃなかった。哀からの連絡が入るわけがないと分かっていて、それでも期待してしまう自分を嫌悪したのだろう。元太から見たコナンは完璧主義で、自分にも厳しい人間だったから。
「コナンは探偵になるんだよな?」
元太が訊ねると、コナンは小さく微笑んだ。少々ご飯を食べたくらいで頬の青白さは変わらないし、疲弊した目元も変わらない。自分はヒーローになりたかったけれど、きっと無理だった。それでも、自分達にとって間違いなくコナンはヒーローだった。
昔よく通っていた阿笠邸の前を歩き、今朝チャイムを押した古びた洋館、つまり工藤邸に足を踏み入れる。受験前までは彼らにお世話になったと思う。おかげで歩美と同じ高校に進学する事ができた。
コナンがドアのカギを開けて、ノブに触れた。一瞬ドアを開けようとするのを躊躇い、唇を噛み締めるようにしてドアノブを握る手に力を入れているその姿が痛々しくて、何度も手助けをしたかった。でもそれを乗り越えるのはコナン自身だ。
ようやくドアを開け、靴を脱いで二人で中に入る。勉強をするのに使ったダイニングテーブルの足元には、黄色や緑で彩られた花束が落ちていた。
「あ……」
立ち止まったままのコナンを尻目に、元太がその花束を拾う。いくつかの花は枯れそうになっていたが、すぐに花瓶に挿せば問題ないだろう。
それよりも問題なのは。
「…これ、コナンが買ったのか?」
思わず聞いてしまった元太に対し、コナンはもう笑う事もできなかったようだ。
「ホワイトデーに…、って、思って……」
それだけつぶやき、コナンはチェストの引き戸を開けて花瓶を取り出し、キッチンで水を汲んだ。サンキュ、と言いながら元太から花束を受け取る。
「こいつらに罪はないもんな」
複雑そうにそれらを見つめた後、何かの代わりに愛しむかのように、コナンは花束にキスをするように顔を近づけ、香りを嗅ぎ、包装を解いて花瓶に挿した。
ダイニングテーブルの上にはメモ用紙とスマートフォンが置かれていて、話で聞くよりも現場を目の当たりにすると生々しく感情が胸に飛び込んだ。殺人事件の現場と同じだった。コナンはどんな思いでこの景色に触れたのだろうか。ヒーローだった彼の唯一の拠り所は哀だけだったというのに。
「ありがとな、元太」
元太が自分の無力さを実感していると、不意にコナンがつぶやいた。心外の言葉になぜか元太が泣きたくなった。自分がコナンの為になれたことなんて今まであっただろうか。コナンは花瓶に挿された花を見つめながら、先ほどより少々穏やかな顔をして言葉を続ける。
「あいつから歩美に連絡があったのは今朝だったよな。それを聞けてよかった。あいつが無事に生きている事を知れてよかった」
穏やかというよりも諦めに近い表情だった。
人生これからだぜ、とか、他にもっといい女がいるって、などという無責任な言葉を吐けるはずもなかった。セリフを迷っているうちにコナンは二階から鞄に詰めた荷物を持って降りてきた。そして元太の背中を叩き、行こうぜ、と玄関に戻る。
春休みいっぱいは毛利家に甘えるとの事だった。それがいいと思った。もう高校生になるとはいえ、自分達は無力でちっぽけな子供なのだから。
「高校は別々になるけどさ。また落ち着いたらみんなでキャンプに行こうな」
工藤邸を出て、歩いて来た道を戻りながらコナンが静かに言った。それが本当に実現するかどうかは分からないけれど、元太は力強くうなずく。
自分達は大人になる。その過程で、きっとまた何かを失いながら、傷ついていくのだろう。どうかどうか、本当は決して強くはないこの幼馴染が普通の幸せを手に入れられますように。元太は日が傾いた空を見上げながら、それだけを祈った。