幕間1-2

 日本人にしては元々色素が薄めの頬は更に白く、そして目の下にはクマができている。この数日でげっそりとやつれた印象に、元太は眉をしかめた。

「コナン…」

 こういう時どうやって声をかけたらいいのか分からない。それは相手が男でも同じようだった。
 普通の中学生よりも賢くて頼りになるはずのコナンがやけに幼く見えたのは眼鏡をかけていないせいではないだろう。布団の端を掴んだまま、それを抱きしめるようにして目を閉じたコナンを、元太はもう一度呼ぶ。

「コナン、とりあえず、ここに籠っていても身体に毒だぜ」

 元太がしどろもどろつぶやくと、コナンはもう一度目を開けて元太を見た。青みがかった瞳が元太を捕える。その透き通った眼差しは、一体いくつの真実を暴いて来たのだろう。
 コナンは自分とは別の生き物のように思っていた。ヒーローのように常に正しく、前を向いている人間だと思っていた。そのコナンが、光を失ったように目の前で憔悴している。今度は自分がヒーローになる番だと思った。コナンのように格好よくなれやしないけれど。
 コナンがのっそりと起き上がったのを確認しながら、元太はカーテンと窓を開けた。すぐ下を走る車の音が、今はなぜか心地いい。まだ少し冷えるが、ずいぶんと爽やかな風が部屋に入って来る。

「飯は食ったのか?」
「いや…。食欲ない」
「そっか…」

 自他共に認める大食いである元太も、さすがにコナンの状況を理解した。うつむいたままのコナンの横に座り、春の風を浴びる。

「灰原が……」

 ぽつりと、コナンがかすれた声のままつぶやいた。

「いなくなったんだ、卒業式の後…」
「ああ…、歩美に聞いた」
「歩美に…?」

 コナンが顔をあげて元太を見た。

「歩美、知ってたのか? なんで…」
「なんでって…。今朝電話があったらしいぜ」
「電話…、どこから」
「公衆電話って聞いたけれど…」

 切羽詰まったコナンの表情を見て、普段の彼を思い出し安心したのも束の間、元太の返事にコナンは「そうか…」とつぶやき、再び力を失ったようにうつむいた。その様子を見て、元太は事の重大さを知った。
 窓の外からはクラクションの音が聞こえる。世界は今日も何事もなかったように動く。ヒーローのような男が傷心してこんなに憔悴していても、関係ない。
 コナンと哀は一心同体のようだった。幼い頃に歩美が好んだような王子様とお姫様が登場するストーリーのように、二人が共にいる事は当然であり、必然のようだった。普通の感覚であれば中学生で一緒に暮らすなんて非常識だと思うが、二人なら納得した。だけど、哀がコナンと別の高校を受験すると知った時、なぜか分かってしまったのだ。
 二人の世界は広いようで狭かった。お互いしか見えていないその様子はどこか危なげで、バランスを欠いたものにも見えていた。それには元太も心当たりがあったのだ。
 元太の初恋の相手は間違いなく歩美だった。

「とにかく、ちょっと部屋を出ようぜ」

 元太が手を差し出すと、意外にもコナンは素直にその手をとって立ち上がった。きっと哀がいなくなってからずっとこんな調子だったのだろう、ふらつく足取りでどうにかリビングまで移動する。
 人間は空腹だと、持っている力も出し切る事ができない。それを信条としている元太は、勝手にキッチンを覗いた。普段は小五郎の一人暮らしの家だが、最低限の食料や調味料は揃っていた。冷凍庫には白ご飯も保管されている。元太はそれぞ取り出し、鍋を火にかけて雑炊を作り、適当なお椀に盛りつけて、リビングのテーブルに置いた。

「食え」

 食べる事が好きだという事もあって、また両親が店をやっている事もあったので、人並みに料理はできた。もしかしたらコナンよりも上手くできるかもしれない。湯気を立てた雑炊をぼんやりと眺めたコナンは、静かに座りなおして、元太を見た。

「……さんきゅ」

 そう言って、冷ましながらゆっくりとコナンは雑炊を口に運んだ。
 きっとコナンにとって、哀が世界の全てだったのだろう。幼い頃の元太にとっても、歩美が全てだった。でも光彦や、コナン、哀に会ううちに、その考えは自然とどこかに吹っ飛んでいた。そして、歩美を大切に思う事を恐れたのだ。もしこのまま歩美に恋をし続けて、その先は一体どうなるんだろう。世界はこんなにも広くて、人の数も限りなく存在するのに、自分は手の届くくらいの狭い場所の中で生きていく道を選ばなければならないような気がした。
 だから、哀がコナンの手を離した気持ちは元太にも少し理解できたのだ。

「コナン、無理して全部食わなくていいぜ」

 お椀の雑炊が半分くらいになったところでコナンの手が止まったので、元太がそう言うと、コナンは泣きそうな顔になって、それでもどうにか涙だけは零すまいと唇を噛み締めるようにうつむいた。

「俺は、間違っていたのかな……」

 元太は答えられなかった。何が正解だったなんて、きっと誰にも分からない事だった。