自分の部屋にあるものは全て自分の気に入ったもので揃えている。毛並みのよいラグ、柔らかすぎないクッションのソファー、存在感のある本棚に、お気に入りのミステリー小説。
三週間前、撮影から帰国して三日が経った後、新一はようやくこの家に戻った。お気に入りの空間は変わらないはずなのに、窓から見える景色がまるで変わってしまった。
「おっ、有希子ママさん、気ぃきかせてくれとるわ!」
ローテーブルの上でガサガサと袋を開ける服部が、歓喜の声をあげる。
「サイドメニューのポテトも入っとった」
舞台挨拶の後、特に予定もなかった新一は、服部と一緒に自宅へと帰ってきた。食事に誘われたところで、高校生でかつ有名人である自分達の行ける場所は限られていて、しかも蘭との報道のおかげで行きつけのブルーパレットにも行けず、結局自宅で宅配ピザを頼む事になったのだ。もちろん注文したのは有希子だった。注文については任せていたが、さすが新一と長年の友人関係を築く服部の好みについてもよく分かっている。
新一はソファーに寄りかかってミネラルウォーターのペットボトルの蓋を開け、口を付ける。喉ごしのよい液体は思ったよりもずっと胃に馴染んで、一気に半分ほど飲み干してしまった。ネットで見た天気予報によると、外の気温は三十度を超えていたらしい。
「ところで工藤」
新一と同じように、テレビ局の自動販売機で買ったペットボトルの蓋を開けながら、服部が新一を見た。
「さっき、楽屋で言っとった事やけど……」
服部が言葉を詰まらせ、部屋にしんとした空気が流れた。宅配ピザの香りが食欲を刺激する。この部屋にテレビはあるが、飾りとなっている。バラエティなどに出演する際に必要な情報がある事も分かっているが、新一はこの部屋でテレビをつけることはほとんどない。
「やっぱり、毛利のねーちゃんとの記事は、ガセなんやな?」
新一は手に取ったクリスピー生地のピザを口に含んだ。考えてみたらトマトソースの味付けはロスでも食べてきた事を思い出す。洋食も嫌いではないけれど、帰国してから志保の家で食べた和食を恋しく思った。
「あんなの嘘に決まってる。どうせ蘭の事務所の大物芸能人のスキャンダルがすっぽ抜かれて、それを潰す代わりに蘭の熱愛報道を作ったんだ。蘭も『GIRLSTEEN』でトップモデルだし、ゆくゆく女優業に転向させたい売名だよ」
自分の中にも驚くような低い声が含まれている事に新一は気付きながら、口先が言葉を吐く。服部が心配するような視線を新一に向けた後、ゆっくりとピザを手に取った。
「で、相手は誰なん?」
服部が手に取ったピザは、チーズにはちみつが乗っているものだった。有希子が好きなクワトロフォルマッジだ。服部の問いに、新一は押し黙る。
本当に隠したい事であれば、人はこんな風に話題にしない。それを服部は知っているのだろう。
「俺が会った事ある人か?」
「いや……、ないと思うけど」
「共演者か?」
服部の追求に新一は手に持っていたピザを全て口に含んだ。
「分かったわ。あれやろ、『ムーンライト』のアキコ!」
鋭い指摘に、新一はぐっとピザを喉に詰まらせ、慌ててミネラルウォーターを流し込む。
「な、何おまえ……。なにわの探偵にでも転職すれば?」
咳払いをしながら新一が声を振り絞ると、服部がけらけらと笑った。
「だっておまえ、ここ最近雰囲気変わったやん」
「小泉さんみたいな事言うなよ」
「いや、紅子みたいな変な力は俺にはないんやけど。でも工藤、おまえあからさまやで」
手に付着した油分をウエットティッシュでふき取ってから、服部はパンツポケットに入れていたスマホを取り出す。そして液晶の画面を新一に見せつけた。
「ほれ見てみ。『ムーンライト』の工藤新一、ドラマ内でも色気を振りまき女性人気を確実なものに」
記事のタイトルを読み上げた服部は得意げに言う。よく見るとその記事はまだドラマが放送されていた頃のものだ。『ムーンライト』のマモル役に関しては批評のほうが多かったと新一は知っているが、服部なりの気遣いなのかもしれない。
「そもそも工藤はそんなに器用な人間ちゃうって前から知っとったしなぁ」
「どういう意味だよ?」
「案外、嘘をつくのが下手って事や」
志保の部屋で過ごした三日間は七月中旬の出来事だ。あれから三週間が経っていた。本屋に並ぶ舞台雑誌では、志保が出演する舞台についても触れられていた。ただし主演ではない宮野志保の文字はまだ小さい。
窓の外からは夏の西日が容赦なく室内を照らしている。目の前にはまだピザが残っているのに、先ほどまで感じていた空腹は消え去り、代わりに新一は三週間前の事を反芻した。