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「俺は、宮野の事が好きなんだ」

 三週間前の七月の半ば、付けっ放しにされた空調の音だけが響く部屋で、新一は言った。
 既に窓に外は暗くなっていた。ソファーで向かい合って座る志保の瞳には、キスの余韻が揺れていた。
 ロスで再会した赤井秀一からの情報を元に、新一は曖昧だった記憶を明確なものにした。今は無き劇団の劇団員のシェリー。幼い頃から舞台の上であらゆる人間像に魂を吹き込んだ役者。

「……赤井秀一に会ったって、言ってたわね」

 両手で新一の指に触れながら、志保がぽつりと言った。

「あなたの事だから調べているんでしょうけれど、彼は私と同じ劇団員だった。芸名はライ。そしてお姉ちゃんの恋人だったわ」

 志保の言う通り、劇団についてはネットでおおよその情報を得る事ができた。一般人には馴染みのない劇団だが、当時この業界ではそれなりに名を馳せていたらしい。

「でもライは、幹部に無断で渡米して活動を行ったのよ。お姉ちゃんは元々多くの活動はしていなかったけれど、それでも劇団一家だったから、ライのせいできっと肩身の狭い思いをしていたはずだわ」

 志保の指の感触を身体に沁み込ませながら、新一は記憶を辿る。秘密基地と呼んだ場所で出逢った少女。首元で揃えられた茶髪がさらさらと揺れるのを間近で見つめていた。

「そんな時、移動中に大きな事故に巻き込まれて……、みんな、いなくなってしまったんだけど」

 絞り出された声に、新一は思わず細い肩を抱きよせた。辛い過去を話させるつもりなんてなかった。
 しっとりと漂う静寂さの中で、もう志保とこんな風に二人きりで会うことはないのかもしれない、と新一は思う。狭いようで広い世界の中。共演をするという事は、奇跡のような巡り合わせだった。



 気付いたら高校は夏休みへと入り、八月になっていた。映画『時を止めて』番宣の為、新一は相変わらず慌ただしくテレビ局やラジオ局を駆けまわっていた。また雑誌の撮影についてはいくつかのグラビアを使いまわししていたが、スケジュールの合間に取材が入る事もたびたびあった。

「お久しぶり、工藤君」

 テレビ局の楽屋での空き時間、ソファーに座ってスマートフォンをいじっていると、ノックと共に顔を覗かせたのは、顔馴染みのライターだった。

「佐藤さん、お疲れ様です」
「お疲れなのは工藤君でしょー。ロスに行ってたんだって?」

 雑誌アクトナビのライターである佐藤美和子が、軽やかな笑顔で部屋にあるパイプ椅子に腰をかけた。スタイルがよいせいか、今日もパンツスーツがよく似合っている。

「はい。あの……色々とお騒がせしてすみません」
「そんなの不可抗力でしょう。写真撮影してたんだってね。向こうには工藤先生もいらっしゃるし、ご家族で団欒できたのかしら?」

 トートバッグからノートを取り出しながら、佐藤が微笑んだ。新一はスマートフォンをソファーの横のサイドテーブルに置く。

「また父の本ができたら佐藤さんに送るように、母に伝えますね」
「あらっ、嬉しい! 私ファンなのよね」

 ミーハーな笑顔を浮かべた佐藤はノートを開き、ボイスレコーダーにスイッチを入れてから仕事の顔を新一に向けた。

「さて、もうすぐ公開される『時を止めて』についてのインタビューを初めてさせて頂いてもよろしいでしょうか?」

 佐藤美和子は、インタビュー相手の言葉を巧みに引き出す。丸裸にされているような感覚は、どこか心地よい。

「ところで工藤君」

 ボイスレコーダーのスイッチを切ってから、佐藤はプライベートの顔を取り戻す。気付けば二十分ほどかかったインタビューはこれで終了だ。

「『ムーンライト』で共演していた宮野志保ちゃん、素晴らしい女優さんね」

 新一がテーブルに置いてあったバラエティー番組の台本を手に取っていると、佐藤が荷物をバッグにまとめながら言った。

「ああ、『ムーンライト』見て下さったんですか。ありがとうございます」
「もちろんドラマも見たけれど。志保ちゃんが出ている舞台、見に行く予定ある? 三日前から公開されているんだけど」

 日本に帰って来てからずっと、忙しさを理由に、新一は志保の活動を追っていなかった。追えば必ず会いに行きたくなると分かっていたからだ。
 三週間前のあの夜、ソファーの上でキスを交わした後は、いつかと同じように今度は志保のベッドで二人で並んで眠った。雲の上のようにふかふかで居心地のよい場所は、不眠を患っていた新一にとってどこよりも眠りにつける場所だった。

 ――センセイの隣で眠りに就けて、俺は幸せだ

 いつか演じた『ムーンライト』のマモルのセリフが頭の中で響く。そんなわけがあるか、と新一はひとりごちた。
 志保の気配を感じるたび、志保の寝息を感じるたび、新一は浅い眠りから覚醒していた。彼女の隣で平常心を保って眠れるわけがなかった。