白いマントにシルクハット、正体不明の大怪盗。怪盗キッドは、子供達の憧れだ。
「ええー、快斗が怪盗キッド!?」
「そういえば怪盗キッドって、実写化するって噂は前からあったけれど…。まさか黒羽君だったなんて…」
快斗の一大告白により、店内の空気は更に浮遊感が増したように思う。志保は視線のやる先を変える。新一を見ると、新一は真っすぐに快斗を見ていた。
「へぇ、おめでとう?」
「工藤って、怪盗キッド大好きだったもんな? ごめんなー、俺が役を取っちまって」
「別に、俺は怪盗には興味ねーよ」
そう言って、新一が壁に沿って置かれていたキューケースを手に取り、そのままビリヤード台へと歩いた。台の上には、九つのカラーボールと白いボールが並べられている。
「うん。そう言うと思った」
快斗は無邪気に笑い、志保の隣に座ってようやくコーヒーカップに触れた。志保とは違い、カウンターに置かれている砂糖を大量にカップへと注ぐ。もはやそれはコーヒーとは呼べるものではなさそうだ。
新一が慣れた手つきでキューを握り、上半身を台に近付け、白いボールを打つ。それに伴い、カラーボールが次々へと端にあるホールへ入って行く。ひとつめ、ふたつめ、みっつめ、よっつめ。ガタン、とどこか重厚な音が響いた。
「黒羽君。私、そろそろ帰るね」
毛利蘭が空になったガラスを手に持って、カウンターに近付く。ふわりといい香りがした。
「宮野さん、お会いできてよかったです。頑張ってくださいね」
「……ありがとうございます」
どこまでも完璧に微笑まれると、正義のヒロインに真打ち登場されたような感覚に居心地が悪い。たどたどしく志保が返事すると、蘭はにっこり笑って、快斗にもう一度声をかける。
「黒羽君も撮影頑張ってね。怪盗キッド、楽しみにしている」
「青子も帰ろうかなぁ。『ムーンライト』も見たいし。宮野さん、またねー」
青子も同じように立ち上がり、蘭の隣に並んで歩く。寺井が丁寧に二人に挨拶をしているのを、志保がカウンターに肩肘つきながらぼんやり見ていると、ガタン、と後ろのビリヤード台から音が響く。
「黒羽。俺、二人を駅まで送って来る」
ビリヤード台を見ると、カラーボールは全てなくなっていた。
「えっ! 俺と志保ちゃんを二人きりにしていーの?」
「…どうぞ、ご自由に」
おどける快斗に、新一は不機嫌に答え、コーヒーをカウンターに置いたまま外へと出ていく。カランと空気とは正反対に軽い音が響いた。
「工藤の情緒不安定には困ったものだなぁ。志保ちゃんも振り回されたんじゃないの?」
ドアが閉まった途端、甘そうなコーヒーを口に含んで面白そうに笑う快斗を横目で見ながら、志保は嘆息する。
「私は、別に……」
「っていうかさ。工藤って現場ではどうなの? いつもの感じ?」
「いつもの工藤君を私は知らないから」
女の子たちのいなくなったカフェ内は妙に静かで、カウンターの奥で寺井がグラスを洗う音が響いている。
「うーん…、俺、工藤とは付き合いが長いけれど、ドラマや映画では共演したことないからさ」
国民的にも人気なキャラクターを実写で演じる快斗が、無邪気に笑う。志保は、一度呼吸を整えてから、言葉を吐いた。
「私、幼い頃に怪盗キッドと名乗る男の子に出会った事があるわ」
思わず丁寧語を使う事を忘れるが、快斗はさして気にも留めないように興味深そうに志保を見た。
おぼつかない声色の中でもしっかりと発声をしていた少年は、恐らく自分と同業者だった。
怪盗キッドと名乗るには、彼の姿はそのキャラクターに似つかわない服装をしていた。青いジャケットに短パン、赤いスニーカー。後で調べたら、当時志保の属した劇団が生活していたその地域は、ある有名ドラマの撮影地で使われていたことが分かった。ドラマのタイトルは『名探偵コナン』、当時五歳の子役が七歳の名探偵役をしたことで一躍有名になった作品だった。
「ねぇ、工藤君が怪盗キッドを大好きだったって本当?」
カウンターに肘をついたまま志保が訊ねると、快斗は首をすくめて含み笑いを浮かべた。
ワン、ツー、スリー。先日の打ち上げで得意げにマジックを披露する新一を見て、志保は確信した。幼い頃に出会った少年は、工藤新一で間違いなかった。