志保と初めて出会った日の事をよく覚えている。彼女に会った瞬間、頬の白さに目を奪われた。
「初めまして、宮野志保です」
空調が効かず冷えたスタジオで、衣装の上にダウンを羽織った彼女の声が低く響いた。
碧がかった瞳が真っすぐに自分を見つめる。傷みを知らない茶髪がさらりと肩の上で揺れた。
「………」
「…ちょっと、新一。挨拶くらいちゃんとしなさいよ」
新一の隣で、マネージャーである有希子が新一を小突くが、新一は言葉を忘れていた。
「ええと、宮野志保ちゃんね。話は聞いているわ。こちらこそよろしくね」
有希子が新一の代わりに応える。その異様な光景にも志保は興味なさそうにぺこりと頭をさげた後、スタジオの端の方へと歩いて行った。
来月から放送されるドラマの撮影がスタートされ、三月初めとは言えまだ冷える空気の中、アルバイトの塾講師役である彼女は薄手のカーデガンを身につけている。淡いピンク色のスカートから見えるふくらはぎがひどく冷たそうだった。
「宮野さん、そろそろ敬語や丁寧語をやめようぜ」
新一が提案したのは、撮影が始まってから三日が経った頃の事だった。
宮野志保をスマートフォン内のネットで検索すると驚くほど情報が少ない。検索トップにあがったのは、彼女が所属する事務所のホームページで、彼女の顔写真と簡単なプロフィールが載っているだけだった。東京都出身の十八歳。新一より一歳年上だった。
初めはたどたどしかったものの、志保は新一を工藤君と呼び、新一は彼女を宮野と呼び捨てにした。そして、テレビで放送されていた服部平次が出演するドラマをお互いが観ていた事から会話が盛り上がり、その流れで好きな本や映画の話もするようになった。
新一自身、それなりの数のドラマに出演し、それなりに共演者と仲良くなることはできたが、会話に満足できる事はなかった。だけど、志保が相手だとキャッチボールをするように、会話が成り立った。それは家族以外で初めての事だった。
久しぶりに帝丹高校の教室に足を踏み入れると、歓声が沸いた。
「工藤、久しぶりじゃん!」
「ドラマ観てるぜー」
木彫や紙の匂いの混ざる教室の匂いが、新一は好きだ。
「新一、久しぶり」
新一の隣の席で、毛利蘭が微笑んだ。
「おお。元気だったか?」
「うん。最近は仕事をセーブしてもらっているし、最近は授業も受けられているんだ。新一は相変わらず忙しそうだね」
心配を見せるように苦笑する蘭を横目に、新一は椅子に座った。鞄から教科書を取り出す。
新一が通うのは帝丹高校の芸能科で、このクラスは全員芸能活動をしている。毛利蘭も新一と同じように子供の頃からドラマに出ていた、いわゆる子役時代を共に過ごした仲だった。
「ああ。でももう撮影も終わったし、少しは落ち着いたかな…」
「そっか。私もドラマ観ているけれど、なんか新一、変わったよ」
長い黒髪を耳にかけながら、蘭はふわりと笑う。
「変わった?」
「うん。なんていうか、大人っぽくなってた」
俳優という仕事をしているとは言え、自分はまだ高校生で、指定されたブレザーに袖を通している内は自分は子供でいられると思っていた。蘭の言葉に、新一は考え込む。十七歳という年齢は難しい。自分が思うよりもずっと子供ではいられないかもしれない。
「やっほー、新一君! 久しぶりじゃん!」
ボブの髪の毛をトレードマークであるカチューシャで留めた鈴木園子が、明るくその場に割って入る。
「久しぶりだな、園子」
「ドラマ観たよ! ね、あの女優さんすごく美人ね! 宮野志保さん? 初めて見たけど、色気やばくない?」
蘭の親友でもある園子は、いつも率直に言葉を投げる。蘭の席の後ろに座った園子を見ながら、新一は急に記憶を取り戻した。今まで曖昧だったものが急に形を持った感覚。
「あ……!」
思わず新一は声をあげ、目を丸くした蘭や園子から顔を背けて、机に伏せた。
「新一?」
「どうしたのー、新一君?」
二人の心配に対して、何でもない、と答えながら、新一は昨夜の事を反芻する。机の木の香りに目が沁みる。
彼女の茶髪を思い出した。新一のソファーで、クッションを抱えるようにして座る彼女に、新一は近付いた。自分は有名な元子役で、自分を知っている事は何も不思議ではないのに、心が刺されたように痛かった。
宮野志保と、キスをした。演技ではなかった。