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 ワン、ツー、スリーと声をあげれば、手の平に魔法がかかる。

「工藤君、すごーい!!」

 貸切のフレンチレストランのテーブル席で、新一の周りで酒を飲んでいるスタッフが、揃って声をあげた。

「今の何だよ! 工藤もう一回やってよ!」
「種も仕掛けもあるただのマジックです。サーストンの法則により、もう二度としません」

 共演者のアンコールにも新一は肩をすくめて笑う。

「生意気な事言いやがって。どうせ黒羽快斗の受け売りだろー?」
「そういえば、工藤って黒羽快斗と仲が良いってよく雑誌に書かれてるもんなぁ」
「…ちぇっ、バレたか」

 先輩俳優を気遣いながら舌を出してみれば、再び場には笑い声があがった。
 三ヶ月間に及んだ撮影は無事に終わり、打ち上げも盛り上がっている。序盤に特別出演した俳優も参加し、豪華メンバーでの飲み会となっている。主演の新一はひっきりなしに多くの人間が声をかけられ、そうしている内に時間もそろそろ過ぎようとしている。
 ふと視線を感じて顔を向けると、志保と目が合った。すぐさま逸らされるが、新一は人をかき分けて志保に近寄る。

「宮野! 飲んでるかー?」
「…未成年だもの。飲んでいるわけないでしょ。ていうか、あなたも飲んでないのに、どうしてそんなに陽気なの」
「俺、飲まなくても酔えるから」

 場の雰囲気でけたけた笑いながら、新一は志保の肩に触れた。男同士で肩を組んで友情を育む役を演じた事もあったが、それよりもずっと小さな肩だった。

「なぁ、さっきの約束、覚えてるだろ?」
「約束って…、あなたが勝手に言ってるだけの事でしょう」
「工藤君、何の話だー?」

 新一の肩を組むようにして監督が割り込んで来る。アルコールの香りに、新一は苦笑した。

「監督には秘密ですよ」
「ひどいなー。俺、工藤新一を評価しているんだよ、これでも」
「藤峰有希子の息子だから、でしょ。初対面でそう悪態ついた監督を、俺、忘れていませんから」

 にこりと微笑んで見せると、監督は少々怯みながらも笑い出す。

「やだなー。冗談に決まっているじゃん」
「そうですね。ちゃんと分かっていますよ」

 新一の頭を軽く叩き、監督は片手にグラスを持ったまま他の共演者へと話しかけていく。ふと息を吐き、そういえば志保の存在を思い出す。顔をあげると、まだ彼女が隣にいた。
 まっすぐに見つめられる緑がかった瞳に、全てを暴かれている感覚。後ろめたさがざわついた。

「工藤君」
「なに…」
「約束は守るわ。もう帰りましょう」

 そう言った志保は、荷物を手にとって歩き出す。

「ちょっと…、宮野!?」

 新一も預けていた荷物を受け取り、他の出演者やスタッフに適当に挨拶をして、慌てて店の外へ出た。道路にはタクシーを捕まえた志保が待っていた。



 カフェインの香りに眠気が吹き飛ぶ。新一の住むマンションのリビングのソファーで、志保がゆっくりとマグカップを手に取った。

「そういえば、あなたってコーヒー通だったわね。一年前くらいに、何かのテレビで都内のカフェをレポートしてたっけ」
「……言われてみたら、そんな仕事もした気がするけれど」

 新一も志保の隣に座り、志保をまじまじと見つめる。

「え…、おまえなんでそんな事知ってんの? 俺でも忘れてたのに」
「別に、偶然テレビで見ただけ」
「偶然って…。おまえって、俺のファンだったの?」

 割と真剣に訊ねたのに、志保には心底呆れたような顔をされ、新一は自意識過剰な自分の発言を恥じる。舌打ちしながらコーヒーを飲む新一に、志保は小さく笑った。

「ファンじゃなくたって、あなたの事は知っていたわよ」
「…まぁ、これだけ露出が多ければ、知名度だけは立派にあるよなぁ」
「珍しく卑屈になっているのね。監督が言った事、気にしているの?」

 マンションの高層部にあるこの部屋は、外からは完全に遮断されている。テレビも何もつけていないこの部屋は静寂で、志保の声が尚更透き通って響いた。

「気にしてないよ」

 動揺を隠すように、新一はコーヒーを飲み干し、カップを置いた。

「嘘ばっかり」

 志保も新一を追うようにカップを置き、ソファーの端に置かれているクッションを抱えるようにして座り直した。

「私が俳優のあなたを初めて知ったのは、あなたが眼鏡をかけた子供の探偵役をしていたドラマを見た時よ」

 目の前がちかちかと瞬いた。記憶がめぐる。
 トレードマークは大きな黒縁眼鏡、青いジャケットに赤いスニーカー。一昔前に流行ったドラマで、当時五歳だった新一は主演を飾り、子役として知名度をあげるきっかけにもなった。有名なドラマなので志保が知っていても不思議ではない。
 だけど、目の前に映る志保の顔がぼやけて、焦点が合わない。ワン、ツー、スリー。心の中で魔法の呪文を念じる。ずっと昔から志保を知っている気がした。