タイトロープ1-2

  こんばんは。黒羽快斗です。
  もう三月も終わりますねぇ。リスナーの皆さんはどんな春をお迎えでしょうか。俺もようやく! 高校を卒業しまして。……わぁ、ありがとうございます! 今スタッフの人がすごく拍手してくれている! ボクは花束よりケーキのほうが好みなのでよろしくお願いしますね!(笑)
  さてさて。先週の放送でもお伝えしました通り、今夜はですね、ラジオ黒羽快斗のマジック☆ミッドナイトの放送二十回を記念致しまして! なんとゲストの方をお招きしています!
  ではでは……、女優の宮野志保さんでーす、よろしくお願いします!

  ――よろしくお願いします。

  志保ちゃんと言えば、俺的には『ムーンライト』のアキコ先生がすっごく好みだったわけですが! 一月から放送されてる宮野志保ちゃん主演のドラマ『瞳の中の真実』が大ヒットしていますね!

  ――ありがとうございます。黒羽君が見て下さっているとは思わなかったな。

  なんでそういう事言うかなーこの綺麗な人は。

  ――そうやってお調子者ぶっているところ、黒羽君の悪い癖だと思うけれど。

  ソーデスネ。このお綺麗な人は結構辛口ですよ皆さん、リスナーの皆さん、聞こえていますか?

  ――それでいてしっかり悪意があるからこそ、性質が悪いのよね。

  性質が悪いのはどっちかなー。……ほら、スタッフの人も爆笑してんじゃん。志保ちゃん、最初に会った時は天然キャラかなって思ってたけれど、まんまと騙されましたよワタクシ。本性隠してたでしょ。

  ――あの頃は緊張していたので。それこそ『ムーンライト』を撮影している頃だったし。

  そうだよね。宮野志保ちゃん、ドラマデビューしてからもうすぐ一年ですよ。志保ちゃん的にはどんな一年だった?

  ――あっという間でしたね。夏には舞台もさせて頂いたので。

  舞台! 七月に公開された『甘い毒』、俺も観に行きました。出演者の皆さんももちろん、志保ちゃんもさすが劇団出身という事で、迫真な演技にボクは鳥肌が立ちましたよ。
  そんなわけで、現在テレビドラマや舞台など様々なところでご活躍している宮野志保さんと、今夜は放送二十回目のマジック☆ミッドナイトをお送りしまーす。メールもたくさん頂いているので、CMの後でご紹介したいと思います!
  それでは、今宵もイッツショータイム!



「何よこれ……」

 薄暗い照明の下で、台本を片手に持った宮野志保が眉を潜めた。出逢った頃よりもずっと洗練された顔立ちになっているのは、きっと快斗の気のせいではない。

「志保ちゃん、知らないわけないよね? ラジオ、黒羽快斗のマジック☆ミッドナイト。少し前に一緒に収録したじゃん」
「私が聞いているのはそういう事じゃないんだけど。どうして今これを流すの?」

 どこかで聞いた覚えのあるセリフに、快斗は喉元で笑いを堪える。志保の持っているものと同じ台本を片手で持ち、セリフを頭に叩き込んでいく。

「俺のラジオ、記念すべき二十回目を、志保ちゃんと聴きたかったんだよね」
「台本の読み合わせをしないなら、私は帰るけれど。だいたい今何時だと思ってるのよ」

 知る人ぞ知るカフェ兼バーのブルーパロット。快斗はスマートフォンのスピーカーの音量を落とした。午前一時を過ぎると、ビル周辺の雑音もほとんど聞こえてこない。 

「志保ちゃん。俺はこの放送でさ、卒業しましたーって嬉しそうに言ってるけれど、実はまだこの時は卒業していなかったんだよね」
「知っているわよ。この収録、三月始まった頃だったじゃない。しかもあなた、二週分の放送を収録していたわ」

 幼い頃から馴染んだこの店内に置かれる物は、訪れる時間が変わるだけで別の物のようだ。バーカウンターも、カウンターチェアも、コーヒーカップも、ビリヤード台も、初めて目に触れるもののようで、毎日が新しくなる感覚は、きっとこの世界に飛び込んでからだった。
 快斗は椅子の上で行儀悪く片膝をあげ、抱え込むようにしてうつむく。目を閉じると、別の世界が見えるようだった。本当の自分は怪盗キッドの正体で、殺された父親の為に復讐芯を燃やすただの男子高校生なのかもしれない。

「馬鹿みたいだ。まだ卒業式を迎えてもないのに過去形で喜んで祝いの言葉をねだったり、年末からあけましておめでとうって未来形で挨拶して媚を売ったりしてさ。このラジオに乗せられていく声に、真実なんて何もないんだよ……」

 黒羽快斗の職業は、タレントだ。得意のマジックと言葉を強みにしたマルチタレントだ。
 先日の深夜に幕張から都内まで一緒にドライブした工藤新一が、時々迷子になるような表情を浮かべるのを、快斗はようやく理解できた気がした。彼はいくつもの人物の感情を取り込みすぎてしまったのだろう。そして、ひとつの現場を終えてから、それらが全て虚無であり、名前のない存在であった事に絶望するのだ。その繰り返し、繰り返し。
 だから、新一は志保への想いを遂げようとはしない。

「真実はいつもひとつ、なんていう言葉を聞いた事あるけれど……」

 快斗の隣で、台本をカウンターに置いた志保が、ゆっくりと椅子ごと快斗に向いた。

「本当はそんな事ないのかもしれないって思うの。私達が仕事を受けるたびに、それぞれに真実が潜んでいるんだわ」

 志保の言葉に、快斗は小さく笑う。

「それ、子供の頃に工藤が出ていたドラマの名台詞だよな」
「そう。小さな探偵さん」
「あの頃から工藤はスターだったよな。本当はああいう探偵役が向いているのかも」

 快斗が新一の話をすると、志保は柔らかく微笑む。志保が幼い頃、子供の姿をした探偵役真っ最中の工藤新一に出会った事があるのだと、出逢ったばかりの頃に聞いた事がある。
 新一は志保に恋心を寄せている。彼は意外に嘘をつくのが得意ではないから、快斗にも分かる。だけど、志保の想いの先は見えにくい。女は怖い生き物だ、と快斗は幼馴染を思い浮かべながらほくそ笑む。

「卒業おめでとう、黒羽君」

 志保の言葉に、快斗は後ろめたさを覚えて視線をカウンターに落とした。
 本職を俳優とは言えない自分が、こうして台本を片手に指導してもらいながら、誰もが憧れるヒーローを演じる事という事。きっと自分は志保や新一のように、台本の中で生きる人物を心に棲ませられない。自分は他の誰でもなく、黒羽快斗だから。
 ありがとう、と快斗は姿勢を正して台本を持ち直した。窓のない店内には月明かりはやって来ない。