タイトロープ1-1



Tightrope



  改めましてこんばんは、今宵もミラクルな世界へようこそ、黒羽快斗です。
  さて今夜最初のメールは、ラジオネームキッド様ラブちゃんから。
  「黒羽君こんばんは。先日の放送で『怪盗キッド』の撮影は順調だと話していましたが、現場で苦労してることはありますか? 映画公開を楽しみに待っています」
  はーい、メールをどうもありがとう。えーと、キッド様ラブ……ちゃん! ラブなのはキッド様なの? 快斗様じゃないんだね(笑)
  はい、キッド様ラブちゃんがお話してくれたように、ワタクシ黒羽快斗、映画『怪盗キッド』の撮影中なのですが! 現場で苦労……。うーん、俺、演技自体久しぶりだからね。え? 演技経験はあるよ、俺。昔服部が主役のドラマにチョイ役で出たもん。……えー、いつだったっけなぁ。二年前くらい…? あれ……?
  ……えーーー! あのドラマ、四年前なの!? ……いや、今スタッフの人がね、こっそり教えてくれたんだけどさ。四年前っつーと、俺、十五歳くらい? そっかー、そのくらいの時期に服部平次君が主演のドラマに出た事があるのでね。だけど今回主演は初めてだし、怪盗キッドってアクションシーンも多いからもちろん苦労もあるよね。
  まぁでも、それは映画の撮影現場だけじゃなくてさ、どんな場所でもそうなんじゃないかなぁ。例えば今俺がいるラジオ局で働くスタッフさんだったり。今このラジオを聴きながら働いているタクシー運転手さんとかさ。こんな遅くまで頑張っている会社員の方ももちろん、テスト勉強を頑張っている学生さんもね。
  だってもう三月ですよ。会社員にとっては年度末で、学生さんにとっては進級や卒業シーズンだよね。色々と忙しくなる時期だけど、リスナーの皆さんには笑顔で日々を送って欲しいなぁなんて思います、ボク。……あ、俺いま良い事言ったよね?(笑)



「何だよこれ……」

 助手席に座る工藤新一の横顔が、流れる外灯によって白く照らされる。スポットライトを浴びる人間は、生まれた時から選ばれているようだ。

「工藤、知らないの? ラジオ、黒羽快斗のマジック☆ミッドナイト」
「俺が聞いているのはそういう事じゃねーんだけど! なんで今このラジオを流すんだよ?」

 ラジオで話されるものと同じ声の返答に、新一がうんざりしたようにシートに背をもたれた。
 この愛車の助手席に新一が座ったのは、これで三度目だ。ちなみに現在午前一時をまわったところ、新一がこの車に乗っているのは、ラジオでもユニークなトークを繰り広げている黒羽快斗本人の善意そのものだ。

「工藤、今の俺にそんな口を聞いていいわけ? 工藤がこれから無事に東京に帰ってあったかーい布団で眠れるかどうかは、全て俺の気分次第って事を忘れていない?」

 十八歳の誕生日で購入した愛車のハンドルを握りながら快斗がにやりと笑うと、隣で新一が深くため息をついた。
 夕方に仕事を終えた新一はどういうわけか、有希子の送迎を断り、ぶらりと幕張まで電車で来ていたというのだ。そこまでは問題ない。しかし、その後新一いわく海浜公園で海を眺めていたら終電を逃してしまったと連絡を受け、快斗が首都高に乗って迎えに来た次第だ。
 俳優工藤新一は、やっぱり頭のネジが数本ぶっ飛んでいる。と快斗は思う。
 車内では付けっ放しのラジオが流れ続けている。ちょうど半年前の十月から始まった、快斗がパーソナリティーを務める番組だ。深夜放送にも関わらず、ファン層の多い女子高生だけではなく老若男女に聴かれていると評判だ。どんなものでも、需要がなければ供給は続かない。

「おまえさぁ……、どういう顔してこのラジオの進行を進めているわけ?」

 新一が座る助手席の窓の向こうでは、東京湾に浮かぶアクアラインが光っている。
 右足でアクセルを踏みながら、快斗は新一が唐突に幕張までやってきた理由を考える。新一は四月から都内にある大学へと進学することが決まっていた。

「工藤もラジオやればいいのに。雑学とか極めてるしさ、絶対向いていると思うけれど」
「俺にはおまえと違って、お茶の間的な人気者じゃねーもん」
「イケメン俳優が、何を言ってるんだか」

 普段は車の多い湾岸線も、さすがに深夜一時になると周りを走る車はトラックしか見当たらない。快斗の言葉に新一がむっと口を尖らせたのが視界の端に見えた。大学受験を控えていた新一は、最近メディアへの露出が減っているのだ。
 フロントガラスの向こうには定時で閉園した夢の国が眠っている。それを越えれば、東京だ。外から入り込む人工的な光は、変わらず新一の横顔を照らし続ける。



「そういえば俺、少し前に志保ちゃんと仕事したんだよ」

 都内にある新一の部屋は相変わらず簡素だ。新一のお気に入りのものしか置かれていない空間で、快斗がトレンチコートを脱ぎながら言うと、アイランドキッチンでコーヒーを淹れていた新一が手を止めたのが見えた。だけどそれはほんの一瞬で、何食わぬ顔でコーヒーを淹れ続ける新一をからかいたくなり、快斗はカリモクのソファーに座る。

「志保ちゃんのドラマも、すごい話題になっているみたいだしね」
「ああ、『瞳の中の真実』だろ? あいつの役、ちょっとイカレてるよな」

 乾いた笑いを零す新一に、ちゃっかり観てるんじゃん、と快斗はひとりごちる。
 幕張まで新一を迎えに行った見返りとして、快斗は新一の部屋に泊まる事になった。一人暮らしでは持て余す広さ、個人事務所で活動している新一の収入は、そこらのサラリーマンの何倍に当たるのだろうか。

「それに、黒羽は『怪盗キッド』の演技、宮野に指導してもらっているんだろ」
「え? よく分かったね?」

 広いリビングにカフェインの香りが漂う。快斗が何も言わなくても新一はシュガースティックとフレッシュをマグカップの横に置いてくれる。彼の洞察力は侮れない。

「どうせブルーパロットでこっそりやってるんだろ。でも頼むから、あいつを変なスキャンダルに巻き込まないようにしろよ」

 直接聞いたことはないが、恐らく新一は志保に恋心を寄せている。
 新一の淹れたコーヒーを味わいながら、快斗は高層階の窓に視線を向ける。新一も快斗も明日はオフだ。明日はそれぞれの高校の卒業式だ。
 快斗は自分の分身になりつつある怪盗キッドを思う。怪盗のくせに、正義感の強い気障なヒーロー。子供達の憧れ。
 しかし時間が経つにつれて、世間の正義像も変わっていく。人々の心は簡単に流され、惑わされる。移り変わりやすい世界の中で、それでも自分達はどうにか走り抜けていくしかないのだ。命がけで細いロープを渡っていくように。