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4.Guilty



 やけに肌寒いと思ったら、エアコンを付けっ放しであった事に気付くが、テーブルに置かれたままのリモコンが遠くて哀は断念する。夏布団を肩までかけると、隣でごそりと気配が動いた。

「どうした……?」

 いつもよりもトーンの低く、ゆったりとした声で新一が哀に顔を寄せる。寝ぼけているのか、腕で哀の肩を引き寄せるようにして、再び寝息を立て始めた新一の手のひらの熱さが肩に、背中に伝わり、哀も目を閉じる。窓の外はまだ暗い。哀は昨夜の事を反芻し、今も自分の中に新一がいるような感覚を覚え、高まりそうな鼓動を押さえるように新一の胸元に顔を押し付けた。無意識なのか、新一の指が哀の髪の毛を梳く。それだけで、研究続きで纏わりついていた疲労感が溶け出していく。
 古いエアコンが音を立てて部屋を冷やし続ける。新一の眠った意識の中に混ざり込むように、哀も静かに再び眠りへと誘われていった。



 四年前、哀はこの近くの高校へと進学をした。今哀が通っている大学の付属高校で、全国の中でも進学校として名をはせた学校でもあった。
 入学した二か月後の六月、方言にも土地にも慣れない場所で、哀の疲れは溜まっていた。それでも、新一の部屋に押し掛けたのは自分で、東京から離れるいうと選択をしたのも自分だ。そもそも、こんな自分にふさわしい場所があるなんて、思いあがっているわけもない。
 雨が降りしきる正門前、そんな事を考えながら歩いていると、見覚えのある姿が立っていた。

「お疲れさん。久しぶりやな」

 グレーの傘の下、スーツを着た色黒の男は、工藤新一のライバルともいえる存在だったはずだ。

「……服部君」

 傘の柄をぎゅっと握りその名を呼ぶと、服部平次は高校生の頃と同じようにかりと笑った。



「いやー、姉ちゃんがほんまにこっちで暮らしとるなんて、思わんかったわ」

 目の前でブレンドコーヒーを飲みながら、服部は笑う。

「元気にしよったか?」
「それより服部君。一年前に私が工藤君の居場所を聞いた時は、よくも知らぬ存ぜぬを貫いてくれたわね」

 高校生が一人では入れないようなレトロな喫茶店の窓側の席、ソファーのクッションが居心地よい。哀はテーブルに頬杖をついて、服部を睨む。

「そらま、話せるわけないわ。あんな事があった後やったし」
「――『あんな事』」

 哀が服部の言葉をそのまま繰り返すと、服部は持っていたカップをテーブルに置き、じっと哀を見つめた。真実を逃すまいとする探偵の目だった。

「姉ちゃんは知っとるんやろ、工藤の事」

 服部の問いに、哀は頬から手を離し、視線をテーブルに落とした。
 あの夏の日、スマートフォンに届いた赤井からのメール。自分達の知る工藤新一はもう存在しないと彼が語った理由。そこに記載されていたのは、赤井の言う通り、哀の知っている新一からは考えられない行動とその結果についてだ。
 窓の外では相変わらず雨が降り続けていた。雨がアスファルトに落ちていく音が弾き続ける。世界が何かから途切れさそうとしているようだった。窓のすぐ目の前にあるはずの信号の輪郭さえ曖昧だ。

「工藤の居場所についても、赤井っちゅーFBIの奴に聞いたんやろ?」
「ええ。彼は私の親戚なの」

 苦みの効いたコーヒーを飲みながら哀が答えると、服部はおかしそうに笑った。

「遠い親戚っちゅーわけか。なんや懐かしい常套句やな」

 スーツを着ている服部は、一度警察官として働いたが、今は出版社で勤務しているのだという。関西を拠点とした、そこまで名高いわけでもない会社で、始めの頃は下っ端でスクープを取るような記者として事件や芸能人を追いかけ、まるで本物の探偵のようだったと服部は笑った。
 昔と変わらない表情を見せる服部も、きっと哀の知らないところで多くの迷いや葛藤の狭間で選択を迫られてきたのだろう。哀は喫茶店内を流れる有線に耳を傾ける。知らない邦楽のメロディーが外の雨音に染みこんでいった。