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 築二十年は優に超えるアパート二階の角部屋、奥にも部屋があるはずなのにリビングになる和室に所狭しと置かれたベッドの前に座った新一は、すぐ目の前のキッチンの前に立ちつくした哀を面倒くさそうに見上げた。

「……それで?」
「え?」
「どうせ俺の不在に気付いたおまえは、お節介あまってここまでやって来たんだろ?」

 嫌味を含んだ言い方をした新一は、テーブルに置かれたグラスの麦茶を飲み干す。当然哀に対して茶を淹れる様子もなく、ただ部屋の中は古いエアコンがこうこうと音を立て、哀の汗を冷やしていく。冷えた床の木目が足の裏に張り付くようだった。

「工藤君」

 肩にかけたトートバッグの紐を右手でぎゅっと握った哀は、新一の顔を見る。血色の悪い顔色と、似合いもしない木造アパートで身を隠すようにして暮らしている理由。赤井秀一の言葉も気になっていた。

「あなたが今、そんな状態なのは、私のせい?」

 哀がつぶやくと、新一は眉根を寄せたまま手を伸ばし、哀の手を引っ張った。バランスを崩した哀の肩からトートバッグが床に落ちて、畳に中身が散らばる。財布、スマートフォン、ポーチ、そしてタブレットケース。
 哀の腕を掴んだ新一は、力任せにすぐ背後にあったベッドに哀を押しつけた。視界が回転した事で、哀は瞬きを繰り返す。乾いた空気が目を刺激していた。

「灰原」

 哀の腕をシーツに留めるようにして自由を奪った新一が、鼻先が触れるほど顔を近付ける。眼鏡のフレームが頬に冷たく触れた。

「おまえ、何年生になったんだ?」
「……中三だけど」
「へぇ」

 面白そうに笑った新一が、右手で哀の首元に触れる。顔色に反して熱い手の平が、Tシャツから覗く鎖骨をなぞる。ぞわぞわとした感覚に気を取られた隙に、哀の呼吸が苦しくなった。唇を塞がれたのだ。新一を押しのけようとするも、覆いかぶされた状態で逃げられるはずもない。唇が離れた瞬間、抗議しようと口を開けると、今度は舌が入れられ、哀の口内を犯していった。

「ふ……ッ、く、工藤、君!」

 ひとしきり歯列をなぞられ、ようやく解放され、哀は新一を押しのけてベッドの上に座りこむ。右手の項で唇を拭っていると、同じようにベッドに座った新一が薄く笑う。

「おまえ、結構いいカラダしてる」
「……あなたがロリコン趣味だって、世間に言いふらしてやる」
「ロリコン? よく言うよ、本当は俺とお似合いの二十六歳の宮野志保ちゃん?」

 肩をすくめた新一は、ベッドのすぐ横に散らばった哀の持ち物に視線を向けた。財布にスマートフォンにポーチに、そして半透明なプラスチックのタブレットケース。ベッドから降りて、タブレットケースを拾った新一は、ふっと嘆息した。

「さっきのおまえの質問」
「え……?」
「俺がこうなったのはおまえのせいだ、って言ったら、おまえはどうしてくれんの?」

 赤みのない頬、艶のない黒髪、痩せた首元。新一が症状を自覚したのはいつだろうか。哀はただ呆然と、姿を変えた新一を見上げる。哀の作った解毒剤は主に肝臓によって代謝される薬物だ。彼が最後に服用したのは七年前、ただしそれまでも彼は何度か服用していた。最高血中濃度も半減期も、全て計算していたはずだった。しかし、それはあくまで机上の空論だ。
 薬は毒にもなりえる。治験も行われていない極秘に開発した薬なんて尚更だ。

「どうすれば、あなたは満足するの……」

 ――俺達の知る工藤新一は、もう存在していない。赤井秀一の言葉の意味を考える。新一が二十歳を過ぎてから約五年間、新一がどのように過ごしていたか哀は知らない。高校の頃に晴れて想いを通わせた恋人と別れていた事さえ知らなかった。ましてや、新一の生きがいでもあるはずだった探偵業を畳んでいたなんて、哀は何も知らなかった。
 新一を変えてしまった原因は、彼を襲っている症状だけなのだろうか。浮かんだ疑問を振り切るようにつぶやいた哀に対して薄く笑った新一は、手に取っていたタブレットケースの蓋を開け、そのままキッチンにめがけて放り投げた。中に入っていた数々の錠剤が、フローリングへと弾みを立てて落ちていく。カラコロと軽い音が虚しく消えた。つまらなそうに錠剤が転がっているのを見届けた新一が、再び哀を見る。哀がびくりと肩を震わせ、ベッドの上で後ずさりするも、後ろは壁でもう逃げられない。
 先ほどのような笑みを消し去った新一は、眼鏡をテーブルに置いてベッドに上がり、右手で哀の顎を掴んだ。

「慰めてよ」

 新一の手が哀の着ているTシャツの中に入り込む。哀が拒否できるわけがなかった。



■参考資料
新一の住むアパートの間取り