工藤邸の書斎に飾られてある一枚の写真を思う。江戸川コナンのどこか影のある笑顔を見せた皮の下、眼鏡の奥側から寄越す視線。まるで自分自身の罪を暴かれているようだと新一は思った。
「……ごめんなさい、新一さん。こんな事言っても、仕方なかったよね」
「あ、いや…」
歩美の声に我に返り、新一はかぶりを振る。
「役に立てなくてごめんな…」
「ううん…」
小さく首を横に振る歩美を見て、江戸川コナンが姿を消してからすでに三年以上が経過している事に気付く。
でもね、歩美ちゃん――。言葉にしないまま、新一は彼女の持つピンク色の鞄を見つめる。――江戸川コナンだって、君が思うほど格好いい人間でも完璧な人間でもなかったはずなんだ。
思えばずっと違和感はすぐ傍にあった。目が覚めたあの日に気付いたのは、腹部に残っている銃創だった。これは記憶のない頃にできたものだとすぐに分かったが、調べても工藤新一がそのような事件に巻き込まれた事は知らされておらず、加入している保険者に調べたところ、少なくとも医療保険を使用してそれを治療した形跡は残っていなかった。覚えのない傷に、ああまた俺は無茶をしたのか、と新一は無理やり納得をした。しかし後味の悪さは残っていたのだ。しばらくの間、それを敢えて突き止める事もできなかった。
ようやくそれに焦点を当てて考え始めたのは、灰原哀の呼び方を変えてすぐの頃だった。真夏の暑さはクーラーでも消えず、そんな中、突然思い立って寝室のクローゼットを整理した。思い立ったのに理由はない。
なぜかクローゼットの引き出しの手前側に、子供服が多く仕舞われていた。確かに子供の頃に着た事のある見覚えのある服もあったが、まだ新しいものもあり、新一は首をかしげた。
ふと、江戸川コナンが脳裏を横切る。なぜか隣人の博士や哀はコナンの写っている写真を飾ることはなかったが、居候していたという毛利家には多くの写真が残されていて、その中でコナンは様々な表情を見せていた。
このクローゼットにある服は、コナンのものだった。でもなぜここに? そういえば江戸川コナンは新一の遠い親戚だと聞いた。一度両親にそれを確かめたら、曖昧に肯定されたので、嘘ではないのだろう。この服がコナンのものだとして、例え彼がこの工藤邸に上がり込むようなことがあったとしても、全ての服を置いて去るようなことはありえない。
新一は思考を巡らせながら別の引き出しを開けた。そこには、赤い蝶ネクタイや、サスペンダー、スニーカー、腕時計、そして眼鏡が片付けられていた。その眼鏡は子供がかけるには少々大きくて渋い、確かにコナンがかけていたものだ。よく見てみるとそれらはただの衣類ではなく、仕掛けがあった。
特に赤い蝶ネクタイ――。裏側にはダイヤルとマイクが内蔵されていて、それが変声機であることに新一はすぐに気付いた。まるで誰かに化けることを前提としたグッズのようだ。
江戸川コナンの名前は米花町に住む人々以外からも得る事ができた。新聞やインターネットだ。
ただの一般人、それも子供が新聞やインターネットで検索できた事がそもそも普通の事ではない。江戸川コナンは、世を騒がす怪盗キッドの悪事をことごとく防いだとして、キッドキラーと呼ばれていた。ただの子供が犯罪者を相手に対等に戦えるわけがない。新一は手に持つ靴や時計を見つめる。そして、蘭や少年探偵団の話を反芻し、江戸川コナンの人物像を思い描く。
まるで自分の事のように思った。新一が姿を消してから現れたコナン。そして彼は新一が再び米花町に戻って来てから姿を消した。非現実な話だというのに、こんなできすぎた話が他にあるわけがない。
新一は蝶ネクタイに触れ、ダイヤルを回す。マイク部分に声をあてると、知っている声が響いた。蘭の父親である小五郎の声だ。そういえば、新一が不在だった頃の新聞ではやたら毛利小五郎の名前が名探偵として称賛されていた。背筋が寒くなるのをどうにかこらえ、新一はダイヤルをまわす。知らない数々の声の中に、蘭や、園子や、博士などの声も作る事が出来た。
幼い頃から事件を多く見てきた新一は、度胸はあるはずだったのに、手の震えが止まらなかった。
「ああ、証拠を…」
マイク越しで、新一がつぶやく。座りこんだ床がひんやりと冷たかった。知らない声がクローゼットで響く。
「証拠を探さなきゃ…」
自分で発したはずのその声が虚ろに聞こえた。