梅雨が過ぎ去れば、茹だるような暑い夏がやってくる。
「工藤!」
東京駅の新幹線改札口で、やけに明るい声が響き、新一は持っていた携帯電話から視線をあげた。
「おう」
「それにしても、東京は暑いやっちゃなー。まぁ大阪も暑いけどな」
「盆地の京都の方がひどいんじゃねーの?」
「ああ、それもそうやな」
数か月ぶりに会う服部は、新一の顔を見るなりマシンガントークを広げる。今日もいつものキャップ帽に半袖のパーカを着ている服部を見て、色の黒くて骨格もしっかりしている男は何を着ても似合うな、と新一は思う。
高校生の頃から服部とは主にメールを通じて連絡を取り合っていた。そして一年に数回は会う仲だ。ほとんどが服部が東京に来る事もあるが、新一が大阪に観光がてら訪ねて行った事もある。意気揚々に案内してくれた通天閣からの景色やお好み焼きの味は新一の記憶の中にしっかりとおさまっている。
服部は父親を追って警察関係者になる未来へと進んでいるが、新一が探偵事務所を開設する事を応援してくれていた。探偵事務所を開く事は子供の頃から夢だったのだ。夢が叶ったのは二十一歳になってからで、新一が思い描いていた予定に対して遅いくらいだ。
東京駅の構内を出て、地下鉄のホームへと向かう。今回は服部が調べている事件の関係者が東京に縁があるということで、それを調べるのに新一も付き合う。
照明はあるはずなのにどこか薄暗いホームにやって来た電車に乗ると、車内は寒さを感じるくらい空調が効いていて、服部がそれに対して関西弁でストレートに文句を言い、それを聞いて新一は苦笑する。服部のような正直な人間と一緒にいることは苦痛ではない。
「それより工藤…」
「ん?」
電車の窓に映る服部の表情はたどたどしく、吊革を右手で掴んだまま視線を彷徨わせている。気を遣わせている事がすぐに分かり、新一が口を開いた。
「蘭の事か?」
「ああ、そやそや。おまえ俺が言いにくい事を、なんではっきり言うねん」
「おまえの態度がはっきりしねーんだよ」
ちょうど目的の駅に着き、顔をしかめる服部の前を新一は歩き、改札を出た辺りで服部に振り向いた。
「逆に聞くけど、おまえは何て聞いてるんだ?」
服部は新一の横に追いつき、思い切ったように声を出す。
「俺は和葉から聞いただけやし、和葉も詳しくは聞いてへんみたいやしな。俺はただ別れたとしか聞いてへん」
「そっか…」
地下鉄の駅からの階段を上ると、途端に真夏の太陽に目がくらむ。車内の空調で冷えた腕が、その気温差に鳥肌を立てる。
「信じられへんわ。工藤、あんなに大事にしとったやんか」
服部の向ける真剣なまなざしに、新一は思わず顔を逸らした。大事にできていたのだろうか。自分の知らない時間を服部は知っているけれど、そもそも記憶のない自分は蘭を置き去りにして、ずっと待たせていたという。
それを、大事にしていたと言えるのだろうか。
「なぁ工藤。工藤は記憶を失っとるっちゅー事実を隠しとる事を気に病んどったかもしれんけど、おまえらの関係はそんなヤワなわけないやろ?」
服部の言葉一つ一つを噛み締めながら、新一は夏の空を見上げる。
蘭に隠し事をしているのは、きっとそれだけではない。小さな嘘が大きく降り積もって、それが軋みになった。ただそれだけだ。それを言葉にするつもりもない。
新一は視線を落とし、弱々しく笑った。
「いや、俺が悪かったんだ」
蘭を泣かせてしまった自分自身を新一は呪っていた。彼女に初めて好きだと伝えた場面すら、新一は知らない。そんな事実をなかったことにして、そして蘭も様子のおかしい新一を見ないふりして、それでも二人で一緒にいる事が幸せだったのだ。
蘭にその言葉を告げられたのは、大学三年生に差しかかる春休みの事だった。
「新一、私の事を好きじゃないでしょ?」
ひどく冷めた蘭の言葉に対して、心外だと新一は反論した。いつものような口論は、だけどただの痴話喧嘩にもならなかった。蘭ははなから新一を信用せず、新一は決定的な言葉を紡ぐ事も、彼女を抱きしめる事もできなかった。
それが答えだったのだ。