文化祭は十一月後半の土日を利用して二日間行われる。それは十年前から変わっていなかった。
体育館は舞台やイベントで使われる。一日目の午後一番の時間帯である今は軽音楽部の演奏で盛り上がっている。舞台裏では、夕方に行われるミスコン第一戦の最終確認が始まっていた。
「コナン君」
そこに清楚な白いワンピースを着た歩美が立っていた。
「歩美ちゃん。すごいね、クラスの代表だなんて」
確認の資料を持ちながら俺がそのワンピースを褒めると、歩美はえへへと無邪気に笑う。彼女も昔から変わっていない。でも泣き虫だったあの頃に比べ、ずいぶんと芯の強い女の子になったと思う。
「コナン君こそ、真面目に実行委員やっちゃってさ。惚れ直しちゃうよ」
歩美の冗談に、今度は俺が笑う。歩美に好きだと告げられたのは、小学六年生の時だった。俺は正直に、その想いに応えられない事を伝えた。伝えない事がどんなに相手を傷つけるか、俺は知っていたつもりだったので。
彼女はその想いをどう消化したのだろうか。まさか俺がそれを聞くわけにはいかないけれど、時々気にかかる。そして応えられない事への罪悪感で、今では滅多に会うこともなくなってしまった。
「哀ちゃんも実行委員なんでしょ。私のクラスの男子が騒いでた」
「ああ。あいつ意外に単純な作業を黙々とやっててさ」
実行委員で灰原と関わったのもわずかだったけれど、いつも遠目で見ていた。その様子を歩美に話すと、
「コナン君って、本当に哀ちゃんを好きだよねぇ」
突拍子もない歩美に俺は咳き込んだ。
「な、何を…」
「早く付き合えばいいのにって思うよ」
「…知ってるだろ。あいつは黒羽と付き合ってる」
「分かってないなー、コナン君」
歩美が可愛らしく唇を尖らしていると、
「江戸川先輩、これも確認お願いできますかー」
背後から委員の声がかかり、俺は歩美に挨拶もそこそこに別れた。
小学生の頃の、五人で過ごした時間がひどく懐かしく感じた。親しい友達は年齢を追うごとに変わって行っても何ら不思議ではない。むしろ、少年探偵団だった三人には俺や灰原以外の普通の中学生とも関わっていくことで大人になって行って欲しい。そんな気持ちがあるのも確かなのに、江戸川コナンを語る上では外せない存在だったからこそ、今でもまた会いたいと思う。その頃の時間を知っているから、今誰と一緒にいても満たされないのだ。過去を振り返る事が滑稽だと分かっていても。
裏方の仕事がいったん終わり、ミスコンが終わるまで仕事がないので俺は校舎に向かって歩く。グラウンドのほうからは、そこに並んだ屋台の香ばしい香りが漂ってきた。
廊下を歩いていると、廊下の窓ガラスに貼られた掲示を見ている横顔に出会った。校舎でも外の気温が入り込んで寒いのか、彼女は白いマフラーを巻いたままだ。
「蘭ねぇちゃん、来てくれたんだ」
「コナン君」
俺の声に振り返った蘭は、いつものように俺を安心させる顔で微笑んだ。
「実行委員のお仕事、大変なんじゃない?」
「うん、でも楽しいよ。そういえば、歩美ちゃんがミスコンに出るみたい」
「そうなんだ? 見に行こうかな」
「うん、そうするといいよ。ボク、ちょっとクラスのほうに用事があるから、行くね」
今となっては蘭と二人きりでいるのが気まずくて、俺は蘭に手を振って、人混みの廊下を歩いた。時計は3時38分を示している。正門で受付係をしていた灰原ももう仕事はあがっているはずだ。なんとなく彼女を探してみるけれど、もしかしたら黒羽快斗が来ているのかもしれないと想像すると、胸の奥がしびれた。
廊下には生徒や一般客で溢れ返っている。俺は窓側に立って、グラウンドを見下ろした。体格の大きい元太がグラウンドに設置されているベンチで何かを食べているのが遠目でも見えた。近くにいるのは光彦と、俺の知らない生徒だ。
二度目の中学校生活もそれなりに満喫しているし、友達も多いほうだと思う。それは元々俺が持っていた性格によるものだけど、だからと言って俺自身がさらけ出せているわけではなく、時々この生活に窮屈さを覚えた。そんな時にはいつも灰原に会いたくなった。
ため息をついて、もう一度廊下に視線をやる。
少し離れた柱の傍に、灰原が立っているのが見えた。後姿でも柔らかそうなその茶髪は目立っている。ここから彼女を呼ぶには遠く、人も多い。近づこうと足を踏み出した瞬間、灰原の傍の柱に寄りかかるようにして立つ黒羽快斗を見つけ、俺の足は硬直した。
ああ、やっぱり…。そんな諦めにも似た感情が俺の胸の中に苦く広がる。分かっていたことじゃないか。今更傷つくことなんてないはずだ。
ぼんやりと二人を見ていると、黒羽がふと俺に視線を寄越した。俺を認識したかと思えば、その場に似合わない張りつめた表情を俺に向けてきて、俺は彼から視線を外せないでいた。いつもふざけているような黒羽がそんな表情をしているのを見るのは初めてだ。
「――ちょっと失礼」
俺は黒羽快斗に目を奪われていて、背後の気配に気付かなかった。
「江戸川コナン、だな?」
ぐぐもった低い声が耳に響き、振り返ろうとすると、途端に布を口元に当てられ、急激に力が抜けた。―――しまった。頭の中で警報を鳴らすが、もう遅い。
「――名探偵!」
遠くから張りつめた声がした。とても懐かしい声だった。俺をそんな風に呼ぶのは誰だったか。
最後に見た二人の姿を思う。最初から俺が入る余地なんてなかった。だけど俺は灰原が好きだ。せめてこれまで過去の呪縛に苦しんだ彼女が幸せになれることを祈った。
たとえ、その隣にいるのが俺でなくても。