「灰原先輩は、江戸川先輩と付き合っているんですか?」
看板に紙製の花を飾りつけながら、一緒に作業していた一年生の男子が訊いてきた。突拍子もない話に思わず私は笑ってしまう。
「付き合ってないわ。というか、私の噂聞いた事あるでしょう」
「噂って、年上の男の人と付き合っているっていうあれですか? まぁ灰原先輩くらい大人っぽかったらそれもありえるかなって思いますけれど。でも、さっきの江戸川先輩を見て、もしかしたらって思ったんです」
気分悪くしたならスミマセン、と後輩は可愛らしく笑って、作業に集中していた。
私と彼が作業をするのを邪魔するように割り込んできた江戸川君は、今は教室の真ん中の机で、多くの委員と一緒に舞台の進行について確認をし合っている。あれだけの生徒に慕われるのは彼の人徳だ。私の存在でそれを邪魔してはいけなかった。
文化祭当日には、私達が作った看板が正門に飾られ、文化祭実行委員が入口のテントでパンフレットを一般客に配っていった。私もその係の一人だった。
「哀ちゃん!」
軽やかなソプラノがふわりと私の耳に届いた。
「…蘭さん」
「久しぶりだね。哀ちゃんも実行委員なんだね。コナン君も実行委員って聞いてたけれど」
「江戸川君なら体育館のステージのほうを担当してるわ」
そう言いながら、江戸川君はいつ蘭さんに実行委員になったことを話したんだろうと思った。今では一緒に暮らしていない彼らが近況を報告するわけでもない。胸の中に広がるもやつきを見ないふりをして、私はパンフレットを差し出す。
パンフレットを受け取る左手の薬指がきらりと光った。
「蘭さん、今日は一人なの?」
「うん。ダンナさんは仕事だし、園子も忙しいみたいで」
文化祭特有の高揚感を懐かしむように辺りを見渡しながらそう言った蘭さんは、手を振って校内の奥へと進んで行った。
私はその後ろ姿、白いマフラーからはみ出した長い黒髪を眺める。工藤新一がずっと想っていた相手。その気持ちは今どこに行ったのだろうか。今も彼の中で眠っているのではないだろうか。そう思うと江戸川君が私に向けた言葉はしっくり来ない。
「あーいチャン」
その声にはっと我に返ると、黒羽君が私の持つパンフレットを欲しいとばかりに手を差し出してきた。
「何ぼーっとしてるの?」
「あ…、なんでもないわ」
あの日から黒羽君に会っていなかった。空気の冷たい阿笠家のリビングで聞いた黒羽君の言葉が脳裏に触れ、私はそれから考えを逸らすようにパンフレットを彼に渡した。
テントの後ろでは、あれが灰原さんのカレシじゃないの? という声が囁かれている。黒羽君はそんな声も華麗に無視し、しきりに私に笑顔で話しかける。さっすが灰原さん、カレシ格好いいじゃん。そんな声も聞こえる。
「哀チャンおすすめの屋台はどれ?」
「いちいち下調べしていないわ。あなたお得意の食欲で全て試してみたら」
「投げやりに言ってるね。ひどくない?」
他の客もお構いなしで、黒羽君はその場でパンフレットをめくった。
十一月後半にもなると、太陽が真上に昇っていても外の風は冷たくて、指がかじかむ。
私と黒羽君は似た者同士だ。私達には持ち合わせていない何かを埋めるように一緒に過ごしてきたけれど、私はその偽物の関係に綻びを感じていた。
他人と一緒にいることが、孤独感を埋めるとは限らない。
「名探偵はどこ?」
黒羽君がパンフレットから顔をあげて、私を見た。
「体育館のステージの裏方をしているわ」
「ふーん。哀チャンは何時までここで仕事なの?」
「午後三時まで」
「それなら、その後また会おうよ。連絡するね」
本当の恋人のように爽やかに、完璧な笑顔を向けて、黒羽君も去って行った。きっと彼は体育館に向かうのだろう。