俺は隠し事が下手らしい。
組織の在り処を探れば、必ず灰原が口を出してくる事は分かっていた。彼女は負い目から自分を犠牲にする事も厭わない。だから知られたくなかったのに。
FBIの人達と細かい打ち合わせをした後、車の後部座席に乗り込む。隣に視線をやると、車の窓の外の流れる景色を眺めている灰原がいる。
俺は目を閉じて、頭の中で乗り込む先の図面を整理する。どのように侵入しどのように中枢を破壊するかシミュレーションする。ふと手の平に温もりを感じた。目を開けると、先ほどまで後頭部を見せていた灰原がこちらを向いていた。
「大丈夫?」
彼女の声と一緒に、彼女の柔らかそうな髪の毛が揺れた。その毛先を見つめながら、ようやく手の温もりの正体を知る。
「ああ、大丈夫だ」
握られた手の平に力を込め、彼女の小さな手を握り返す。
車のナビに目を向けると、もう東京都内を抜けたようだった。
灰原には知られたくなかった。危険に晒したくなかった。それでもこの手の温もりに安心させられたのも本当だ。
山奥にあるいびつな建物に入り込んだ瞬間、尋常じゃない緊張感が走った。
車の中から俺はずっと灰原の手を離さない。灰原も何も言わないまま俺の手を掴んでいる。打ち合わせ通りに侵入し、博士から託せられた武器を片手に、俺達は進んだ。
汗ばんできた手は、灰原なのか俺なのか。それすら分からないほど彼女の近くにいることが幸せだと思った。こんな時にどうかしている。
「江戸川君、そっちには隠しカメラがあるわ」
「おまえ、ここに来た事あるのか?」
「ないけど、パターンなら分かる。こっちに隠し通路があるはずよ」
さすがは凶悪犯罪を成し遂げた組織だ。いくつものアジトを持っていて当然だった。だけど灰原が言うには、薬のデータも組織のトップも、中枢核全てがここに集結しているとの事だった。
どぉん、と遠くで爆発音が響き、灰原が息を飲んだのが分かった。
「灰原、行こう」
さまざまな情報が集うメインコンピューター室を目指した。灰原の手を引くように俺は走る。額から汗が耳の脇を伝って流れた。心地悪い予感が俺を襲う。
再び爆発音。目の前で炎があがった。
「データが…!」
灰原が俺の手を離して走り出す。
「灰原、駄目だ!」
「だって、薬のデータが…!」
「もう無理だ! 燃えてしまっている!」
声を張り上げないと聞こえないくらい、耳のすぐ傍には轟音が盛り上がっている。俺は無理に先に行こうとする灰原の手を掴んだ。熱を持った風が前から吹き寄せ、目が乾燥して瞬きを繰り返す。頬が熱い。ここも危険だ。俺は彼女の手を引くようにして来た道を戻ろうと走り出した。
彼女をこの場所から遠ざけたい。
爆音の連続で聴覚がおかしくなっても、彼女の存在を感じた。彼女を守らなければと思った。薬のデータなんてどうでもいい。これまで願ってやまなかったものに対してそう思ってしまう自分に驚く。
――ふと背筋に冷たいものが突き抜け、直感で灰原の手を引き寄せ、俺よりも華奢なその身体を抱き締めた。
「―――工藤君!?」
銃声と共に肩に衝撃が走った。
「工藤君、何をしてるの!? 工藤君!」
腕の中で灰原が悲鳴に似た声で叫ぶ。それでも俺は手の力を込めたまま、その場に崩れ込んだ。
また銃声。肩なのか、腕なのか、腹なのか、足なのか。もうどこが撃たれてどこが痛いのかなんて分からない。ただ感じるのは灰原の温もりだった。
――工藤君!
久しぶりにその名を呼ばれ、違和感を覚えた。
俺は江戸川コナンだ。今更工藤新一に戻る事なんて考えられなかった。灰原に出逢ってしまったから、俺はこの人生を消すことなど出来ない。
薄れゆく意識の中で思う。―――俺は灰原を好きだ。
それはとてもシンプルな感情で、俺の心の隙間を撫でていった。